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司農寺(しのうじ)は、王朝時代の中国の官署である。九寺のひとつ。
漢代の大司農を起源とする。北斉のときに司農寺が置かれ、倉市薪菜・園池果実を管掌した[1]。隋のとき、太倉・典農・平準・廩市・鉤盾・華林・上林・導官などの署を統括し、おのおのに令が置かれた[2]。唐代には、司農寺の長官は司農寺卿といい、その官位は従三品上とされた。次官は司農寺少卿といい、その官位は従四品上とされた。その下に司農寺丞(従六品上)6人・司農寺主簿(従七品上)2人・司農寺録事(従九品上)2人が置かれた[3]。
元代に大司農司と改められた[4]。