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吉川岩喜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

吉川 岩喜(きちかわ いわき、1874年2月 - 没年不詳)は、日本工学者。専門は採鉱冶金学

経歴

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福岡県士族吉川和郎の二男として東京に生まれる。1893年福岡県立尋常中学修猷館[1]、1896年旧制第五高等学校理科[2]を経て、1899年東京帝国大学工科大学冶金学科を卒業する[3]

豊国炭鉱採炭部、星野金山釜石鉱山朝鮮総督府中央試験所、平壌鉱業所燃料選鉱研究所の技師を務めた後、早稲田大学に招聘され理工学部教授に就任。 1924年9月論文「朝鮮平壌炭の研究」で早稲田大学の博士第一号として工学博士の学位を受ける[4]。 1927年4月採鉱冶金学科の教務主任を務める。

1938年10月大同工業専門学校[注 1]校長に就任。退任後、東洋拓殖南洋拓殖の嘱託を務めた。

脚注

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注釈

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  1. ^ 後に朝鮮総督府管下の公立平壌工業専門学校に引き継がれ、戦後金日成総合大学工学部の母体となり、現在は金策工業総合大学

出典

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  1. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』同窓会員1頁
  2. ^ 『第五高等学校一覧(自昭和11年至昭和12年)』(第五高等学校編、1936年)180頁
  3. ^ 『東京帝国大学一覧(從大正7年至大正8年)』(東京帝国大学、1919年)學士及卒業生姓名222頁
  4. ^ 早稲田大学百年史 第一編 学部(続) 第六章 理工学部 五 資源工学科 14 大学院

参考文献

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  • 「人事興信録第14版」 ヨ26頁、人事興信所、1943年
  • 「日本産業人名資料事典2」(「財界フースヒー」 (通俗経済社1931年刊) の複製)第2巻 ヨ15頁、2002年