吉川祐輝
表示
吉川 祐輝(きっかわ すけてる、1868年9月24日(慶応4年8月9日[1]) - 1945年(昭和20年)2月26日[2])は、日本の農学者。農学博士[3]。族籍は東京府士族[3]。
経歴
[編集]伊予国松山(愛媛県松山市)出身[4]。吉川祐之の長男[3]。1892年(明治25年)、帝国大学農科大学を卒業[1]。翌年から農事試験場技師を務めた[5]。1901年(明治34年)、東京帝国大学農科大学助教授となり、1904年(明治37年)からは東京農業高等学校(現在の東京農業大学)講師を兼ねた[1]。
1903年(明治36年)に清・韓国へ、1907年(明治40年)にイギリス領セイロン・フランス領インドシナへ派遣された[5]。1909年(明治42年)にイギリス・ドイツ・アメリカ合衆国に留学[6]。翌年、帰国とともに東京帝国大学教授に就任した[1]。
1913年(大正2年)、農学博士の学位を得、1925年(大正14年)には帝国学士院会員に選ばれた[4]。1927年(昭和2年)に退官し、名誉教授の称号を受けた[1]。また同年より東京農業大学学長を務めた[1]。
家族・親族
[編集]- 吉川家
著書
[編集]- 『韓国農業経営論』(大日本農会、1904年)
- 『食用作物各論』(成美堂、1908年)
- 『工芸作物各論 第1巻』(成美堂、1919年)
- 『工芸作物各論 第2巻』(成美堂、1927年)
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 大衆人事録 1930.
- ^ 20世紀日本人名事典 2004.
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第4版』よ24頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年12月24日閲覧。
- ^ a b c 大衆人事録 1943.
- ^ a b 大日本人物名鑑 1921, p. 98.
- ^ 『官報』第7667号、明治42年1月19日。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 『大日本人物名鑑 巻4の2』ルーブル社出版部、1921年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版』帝国秘密探偵社、1943年。
- 『20世紀日本人名事典』日外アソシエーツ、2004年。