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吉成武雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
吉成 武雄
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 栃木県宇都宮市
生年月日 (1932-07-20) 1932年7月20日
没年月日 (1960-06-10) 1960年6月10日(27歳没)
身長
体重
164 cm
62 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 捕手
プロ入り 1952年
初出場 1952年
最終出場 1958年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

吉成 武雄(よしなり たけお、1932年7月20日 - 1960年6月10日[1])は、栃木県宇都宮市出身[1]プロ野球選手捕手)。右投左打。

経歴

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宇都宮工業高校では、同期の神田昌男とバッテリーを組み、捕手、三番打者として甲子園に2回出場。1950年夏の選手権は2回戦(初戦)でエース大沢昭を擁する神奈川商工を降し、準々決勝では若狭高に大勝。準決勝に進むが、松山東高の池田勉(津田鋼材)に抑えられ完封負け[2]。翌1951年春の選抜は1回戦で平安高清水宏員を打ち崩し完封勝ち、しかし準々決勝で明治高のエース松尾豊(明大)に完封負けを喫する[3]。明治高には沖山光利がいた。

1952年大洋ホエールズへ神田と共に入団[1]。同年は荒川昇治の控え捕手であったが、シーズン終盤には13試合に先発マスクを被る。その後も荒川や目時春雄の控えにとどまる。1955年には11試合に先発、三番打者としても1試合に起用された。1956年以降はあまり出場機会に恵まれず、1958年限りで引退。

詳細情報

[編集]

年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1952 大洋
洋松
15 44 39 3 11 1 0 0 12 4 2 2 1 -- 1 -- 3 2 1 .282 .349 .308 .657
1954 14 14 14 1 3 0 0 0 3 2 1 0 0 0 0 -- 0 2 0 .214 .214 .214 .429
1955 62 91 85 5 17 0 0 0 17 3 0 0 1 1 4 0 0 17 2 .200 .236 .200 .436
1956 5 6 6 0 2 0 0 0 2 1 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .333 .333 .333 .667
1957 16 15 14 2 3 0 0 0 3 1 0 0 1 0 0 0 0 4 1 .214 .214 .214 .429
1958 7 2 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 .000 .500 .000 .500
通算:6年 119 172 159 12 36 1 0 0 37 11 3 2 3 1 6 0 3 27 4 .226 .266 .233 .499

記録

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その他の記録

背番号

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  • 38 (1952年 - 1955年)
  • 28 (1956年 - 1958年)

脚注

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  1. ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、623ページ
  2. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  3. ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年

関連項目

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外部リンク

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