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吉村英夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
吉村 英夫[1]
よしむら ひでお
誕生 (1940-01-01) 1940年1月1日(84歳)
三重県津市
職業 映画評論家
最終学歴 早稲田大学教育学部国語国文科
主な受賞歴キネマ旬報」創刊60周年記念論文佳作(1979年
三重県文化奨励賞(1982年
第6回ノンフィクション朝日ジャーナル大賞選外佳作(1990年
三銀ふるさと三重文化賞(2009年
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吉村 英夫(よしむら ひでお、1940年1月1日 - )は日本の映画評論家、著述家。

経歴

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1940年三重県津市に生まれる。久居中学校、三重県立津高等学校早稲田大学教育学部国語国文科卒業。1962年4月、三重県立高等学校(国語科)教諭となる。1996年3月、津東高等学校退職。1997年4月~2006年3月三重大学(共通教育機構)非常勤講師。2001年4月、愛知淑徳大学非常勤講師。2007年4月愛知淑徳大学教授[2]。2010年4月愛知淑徳大学非常勤講師、2015年3月退職。

1979年、キネマ旬報創刊60周年記念論文「『祇園の姉妹』と溝口健二の先駆性」で佳作入選[3]。1982年、『男はつらいよの世界』刊行などによって三重県文化奨励賞(文学部門)受賞[4]。第6回ノンフィクション朝日ジャーナル大賞に応募の『「ローマの休日」のすべて』が選外佳作(1990年)となる[5]。1994年、選著『一行詩(往信)父よ母よ』『一行詩(返信)息子よ娘よ』(学陽書房)がベストセラーになる[6]。2003年、小津安二郞生誕100年記念三重映画フェスティバル2003(支援・文化庁)実行委員会会長[7]。2009年、三銀ふるさと三重文化賞受賞[8]。 2014年、小津安二郎記念碑建立委員会(三重県津市)事務局長[9]。2015年、「彼岸花映画祭in津」実行委員会 事務局長 2021年まで[10]

著作

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単著

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撰著

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共撰著・共編著・監修

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脚注

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  1. ^ 吉村 英夫 プロフィール”. 学陽書房. 2021年3月20日閲覧。
  2. ^ 「大学だより №78」「文化創造学部教授」として退任挨拶(2010 May.10 愛知淑徳大学学生部学生事務室発行)。講師期間については、2022年12月8日付「在職期間証明書」(愛知淑徳学園理事長・小林素文)による。
  3. ^ 「キネマ旬報」1979年11月下旬号(№774)に受賞発表と受賞作本文掲載。
  4. ^ 1982年2月11日「朝日新聞」「毎日新聞」三重県版
  5. ^ 「朝日ジャーナル」1990年9月14日号(通巻1660号)。応募作を『ローマの休日――ワイラーとヘプバーン』と改題して、朝日新聞社より1991年に刊行
  6. ^ 『出版年鑑1995』(出版ニュース社)ベストセラーズ順位記述で第29位。1994年6月17日「讀賣新聞」読書欄、7月25日「朝日新聞」東京本社版
  7. ^ フェスティバル・プログラムのP47 2003年6月14日実行委員会発行。『巨匠たちの風景(三重シネマ事情)』(伊勢文化舎 2002)
  8. ^ 2009年3月15日「中日新聞・三重版」
  9. ^ 「毎日新聞」中部本社東海版「シネマの玉手箱」2015年3月15日&6月6日。「小津安二郞記念碑除幕式・記念行事プログラム」(小津安二郎記念碑建立委員会 2015年3月24日発行 最終ページ)
  10. ^ 彼岸花映画祭プログラム 第2回(2016)と第6回(2021)プログラムに記載。2015年3月15日