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吉松憲郎

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吉松 憲郎(よしまつ のりお、1881年明治14年)1月25日[1] - 没年不詳)は、朝鮮総督府官僚

経歴

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高知県出身。第一高等学校を経て[2]1906年(明治39年)、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業[3]。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格し[2]、1907年(明治40年)[2]統監府財政監査庁に入り、書記官となった[3]。その後朝鮮総督府道事務官となり、平安北道第二部長[4]慶尚北道第一部長[1]仁川府[5]を歴任し、1921年大正10年)から京城府尹を務めた[6]

脚注

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  1. ^ a b 人事興信録 1918.
  2. ^ a b c 『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、188頁。
  3. ^ a b 帝国大学出身録 1922, p. 1668.
  4. ^ 『平壌全誌』平壌商業会議所、1927年、p.16。
  5. ^ 『朝鮮の都市 京城と仁川』p.240。
  6. ^ 『朝鮮の都市 京城と仁川』p.93。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。 
  • 原田登編『帝国大学出身録』帝国大学出身録編輯所、1922年。 
  • 萩森茂『朝鮮の都市 京城と仁川』大陸情報社、1930年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、東京大学出版会、2007年。