吉沢氏
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桓武平氏北条氏族 吉沢氏
[編集]本姓を平氏、家系を北条氏の支流とする吉沢氏あり。信濃国小県郡の藍田氏の傍流という。弘長年間(1261年から1263年)、吉沢城主として吉沢民部ありという[1]。
また、永禄年間(1558年から1570年)に信濃高遠にも新衆として吉沢善三郎が見え、伊那郡関氏の家臣として吉沢伊予ありといい、下条氏に通じるという。下条氏の家臣として吉沢六郎の名ありという。一連の吉沢氏は北条氏流と同族か。なお、諏訪における吉沢氏の家紋としては花沢潟を用いるという[1]。
甲斐国の吉沢氏
[編集]甲斐国巨摩郡の名族に吉沢氏ありといい、見延過去帳に吉沢下総守の名が見えるという[1]。
武蔵国の吉沢氏
[編集]武蔵国橘樹郡の郷士に吉沢氏ありというが、天正(1573年から1592年)の頃、帰農するという。本姓を藤原氏とし、近藤太能成の子・重能が吉沢三郎を称するのに始まるという[1]。
また、入間郡の名族たる吉沢氏は、戸倉氏、井上氏とも比企郡松山の浪人にして、入間郡坂戸村に移り住むという[1]。多摩郡の神職にも吉沢姓あり[1]。
下総国の吉沢氏
[編集]上野国の吉沢氏
[編集]常陸国の吉沢氏
[編集]秋田藩士 吉沢氏
[編集]常陸国にも吉沢氏あり。本姓は藤原氏。常陸国守護・佐竹氏の家臣にこの氏が見え、『藤原姓吉沢氏系図』に以下の系譜を載せる。この氏、清似の代に佐竹義宣に随い、常陸より秋田に下向し、代々、出羽国平鹿郡横手に住まうという[3]
系譜 吉澤清巴―清似―清忠―清白―神部
水戸藩の義民 吉沢氏
[編集]- 吉沢勝之介 茨城郡吉沼村、吉田社祠官目見格。諱は義教。天狗党の乱に天狗方に加わり、捕らわれる。下総国佐倉に拘禁され、明治元年(1872年)2月1日死すという。釈放後の死か。享年27。靖国神社合祀[4]。
- 吉沢常四郎 常次郎とも。久慈郡小貫村の百姓。小山守。天狗党に加わり、捕らわれる。慶応2年(1866年)8月1日、獄死する。享年32。靖国神社合祀[5]。
その他
[編集]摂津国、伊勢国、志摩国、尾張国、信濃国にも吉沢氏あり[2]。
脚注
[編集]参考文献・外部リンク
[編集]- 明田鉄男編『幕末維新全殉難者名鑑1』(新人物往来社、1986年)ISBN 4404013353
- 秋田県公文書館編『系図目録I』 (秋田県、2001年)
- 太田亮著、上田萬年、三上参次監修『姓氏家系大辞典 第3巻』(角川書店、1934年)