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吉田廣一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
吉田廣一 
個人情報
フルネームHiroichi Yoshida
国籍日本の旗 日本
生誕 (1918-03-20) 1918年3月20日
徳島県美馬郡脇町
死去1967年1月??
身長184 cm (6 ft 0 in)
体重85 kg (187 lb)
スポーツ
競技ウェイトリフティング
種目男子ライトヘビー級

吉田 廣一(よしだ ひろいち、1918年大正7年)3月20日[1] - 1967年昭和42年)1月[2])は、元日本陸軍軍人教育者重量挙げ選手。身長184cm、体重85kgの筋骨隆々体で知られ、平和祈念像のモデルとされている[3]。何事も1番でなければ気が済まないという性格から「先頭」を意味する「せんとうはん」の愛称がある[4]

経歴

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後継者

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徳島県立穴吹高等学校出身のオリンピック代表選手[1][6]

関連書

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  • 『せんとうはん』吉田廣一先生顕彰碑建立期成同盟会、2003年。 
  • 蔭山美紗子「せんとうはん」『昭和を生きた人々』阿波の歴史を小説にする会〈阿波の歴史小説 第33集〉、2012年。 

脚注

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  1. ^ a b c d e 「オリンピック記念資料室」 リーフレット2015” (PDF). 徳島県立穴吹高等学校 (2015年). 2020年8月17日閲覧。
  2. ^ a b c 財団法人日体スワロー 徳島県支部 - ウェイバックマシン(2017年8月9日アーカイブ分)
  3. ^ a b 戦後75年 終わらぬ夏 9 長崎平和祈る「健康美」」『読売新聞』2020年8月9日、1面。2020年8月17日閲覧。
  4. ^ a b c 戦後75年 終わらぬ夏 9 葬儀後まさかの復員」『読売新聞』2020年8月9日、6面。2020年8月17日閲覧。
  5. ^ a b 「「日本スポーツ賞」をめぐる人々③」『読売新聞』1953年12月11日、4面。
  6. ^ a b c 戦後75年 旗手 反戦のアルバム」『読売新聞』2020年8月14日、16面。2020年8月17日閲覧。
  7. ^ 「第二回アジア大会派遣選手団一覧表」『読売新聞』1954年4月15日、4面。
  8. ^ 「五輪選手育てた元穴吹高教諭 故吉田さんしのび教え子ら顕彰碑 来月除幕」『読売新聞』2003年2月21日、27面。

関連項目

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外部リンク

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