吉田暎二
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吉田 暎二(よしだ てるじ、1901年〈明治34年〉2月5日 ‐ 1972年〈昭和47年〉9月30日)とは、大正から昭和にかけての浮世絵・歌舞伎の研究家。
来歴
[編集]東京本所区(現在の墨田区)の東両国で生まれる。父は東海銀行支店長の吉田源次郎。1907年(明治40年)相生尋常小学校に入学、1914年(大正3年)東京府立第三中学校(現東京都立両国高等学校・附属中学校)に入学。1919年(大正8年)早稲田大学露文科に入学したが、のちに関東大震災により中退する。1924年(大正13年)東京歌舞伎座に入社、雑誌『歌舞伎』、『歌舞伎研究』の編集を担当する。1927年(昭和2年)に歌舞伎座を退社、その後高見沢木版社、また北光書房に勤務することがあった。1950年(昭和25年)再び歌舞伎座に出版部主任として出勤し、1968年(昭和43年)2月に退社。『歌舞伎年表』の校訂をし、著作は『浮世絵大成』全十二巻、『浮世絵事典』全三巻などを出版している。自宅で高血圧により死去、享年71[1]。
著作
[編集]- 『吉田暎二著作集 歌舞伎絵の研究』緑園書房、1963年 。
脚注
[編集]- ^ 以上、『日本美術年鑑』(昭和48年版)86頁及び『日本近代文学事典』第三巻480頁に拠る。
参考文献
[編集]- 東京国立文化財研究所美術部編 『日本美術年鑑』(昭和48年版) 大蔵省印刷局、1974年 ※「吉田暎二」の項(86頁)
- 日本近代文学館編 『日本近代文学事典』(第三巻 人名〈に - わ〉) 講談社、1977年 ※「吉田暎二」の項(480頁)