吉田浩 (官僚)
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吉田 浩(よしだ こう、1885年(明治18年)1月18日[1] - 1963年(昭和38年)4月7日[2])は、日本の鉄道官僚。朝鮮総督府官僚。
経歴
[編集]福島県出身。1909年(明治42年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、高等文官試験に合格[1]。鉄道院書記、同副参事、同参事、鉄道局参事、鉄道書記官・運輸局貨物課長、門司鉄道局長、東京鉄道局長を歴任した[1]。その後、朝鮮総督府鉄道局長を務めた[3]。
1938年(昭和13年)に退官し、華北交通株式会社監事[4]、北支那開発株式会社理事[5]を経て、1942年(昭和17年)より鉄道軌道統制会理事長を務めた[3]。戦後は、日本交通協会長、鉄道弘済会顧問を務めた[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版(下)』人事興信所、1943年。