吉田照幸
よしだ てるゆき 吉田 照幸 | |||||
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生年月日 | 1969年12月13日(55歳) | ||||
出身地 | 日本 山口県防府市 | ||||
職業 | テレビディレクター | ||||
ジャンル | テレビ、映画 | ||||
事務所 | 日本放送協会 | ||||
主な作品 | |||||
『サラリーマンNEO』 『あまちゃん』 『エール』 『鎌倉殿の13人』 | |||||
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吉田 照幸(よしだ てるゆき、1969年12月13日[1] - )は、日本のテレビディレクター、演出家、プロデューサー。NHKエンタープライズ番組開発部所属エグゼクティブプロデューサー。福岡県北九州市生まれ、山口県防府市育ち。
略歴
[編集]山口県立防府高等学校、青山学院大学法学部卒業。同大学在学時にフジテレビの深夜特番『北半球で一番くだらない番組』とTBSのドキュメンタリー『世界で一番過酷なマラソン』に感銘を受け、テレビ業界を目指す[2]。
民放の最終面接に落ちた後に1年就職浪人をして、1993年(平成5年)日本放送協会 (NHK) 入局[3]。元々報道・ドキュメンタリー志望だったという[4]が、入局時の研修での第3希望に『何か新しいこと』と書いたために番組制作局第2制作センターエンターテイメント番組部に配属され[5]、公開派遣番組を担当する(前説を多く担当したという[5])。入社1か月の研修期間後の初の配属先は『NHKのど自慢』の班だった[6]。1996年(平成8年)に広島局に異動し[7]、念願だったドキュメンタリーなど[8]番組製作全般を担当する[4]。
2000年に東京本部(放送センター)に戻り、番組制作局エンターテイメント番組部に復帰。その後、2002年(平成14年)にNHK内に新設された番組開発部に配属され[9]、「若い世代に見てもらえる番組」の企画を求められる。その中で、人々が「シュールな笑い」を求めていることに着目し[4]、(NHKの上層部のゴーサインを得るために)サラリーマンを題材としたコント番組の企画を立案、これが『サラリーマンNEO』として番組化され、以後一貫してこの番組の演出を手がけることとなった。演出手法については、本屋で買った映画学校の教本を読み込み、カメラワークは大河ドラマの担当者から資料をもらって学んだという[10]。2012年にサラリーマンNEOが映画化された際には映画監督も務めている。この頃、プロデューサーにならないかという打診もあったが、ディレクターを続ける道を選んだ[11]。
2013年度上期の連続テレビ小説『あまちゃん』の演出を手がけた。この当時、ドラマの演出は本来部局担当外の仕事ではあるが、ドラマのチーフである同期の井上剛の誘いに応じたものであるという[12][13]。
2013年9月よりNHKエンタープライズ所属、番組開発部エグゼクティブプロデューサーとなった[14]。
受賞歴
[編集]主な担当番組・作品
[編集]テレビ番組
[編集]- NHKのど自慢
- ふるさと愉快亭 小朝が参りました
- NHK歌謡コンサート
- にんげんドキュメント『そこに歌があった〜のど自慢 イン アルゼンチン』
- サラリーマンNEO
- となりのシムラ
- 志村けん in 探偵佐平 60歳(樋口有介『木野塚佐平シリーズ』のコントドラマ化[17])
テレビドラマ
[編集]- 連続テレビ小説
- ジャンクション39〜男たち、恋に迷走中!〜(2015年)
- 洞窟おじさん(2015年)
- 富士ファミリー(2016年)
- 富士ファミリー2017(2017年)
- 獄門島(2016年11月19日、NHK BSプレミアム)
- Home Sweet Tokyo(2017年)
- 弟の夫(2018年)
- 悪魔が来りて笛を吹く(2018年7月28日、NHK BSプレミアム)
- マリオ〜AIのゆくえ〜(2018年)
- 八つ墓村(2019年)
- 大河ドラマ 鎌倉殿の13人(2022年)
- 犬神家の一族(2023年)
- アイドル誕生 輝け昭和歌謡(2023年)
- VRおじさんの初恋(2024年)[19]
映画
[編集]著書
[編集]- 『発想をカタチにする技術 新しさを生みだす“ありきたり”の壊し方』日本実業出版社、2013年11月14日。ISBN 978-4-534-05131-8。
- 『「おもしろい人」の会話の公式 気のきいた一言がパッと出てくる!』SBクリエイティブ、2015年2月11日。ISBN 978-4-797-38064-4。
- 『気のきいた会話ができる人だけが知っていること』SBクリエイティブ、2023年6月6日。ISBN 978-4-815-62105-6。 - 『「おもしろい人」の会話の公式』の一部加筆修正および改題版
出演
[編集]脚注
[編集]- ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.293
- ^ “NHKディレクター 吉田照幸氏 - DODAのヒット人メーカー 02 脱落入局篇”. インテリジェンス. 2017年2月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月22日閲覧。
- ^ “「あまちゃんはあまくなかった」NHKディレクター 吉田照幸氏 - DODAのヒット人メーカー 01 謙虚献身篇”. インテリジェンス. 2017年2月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月22日閲覧。
- ^ a b c 立命館大学 2011.
- ^ a b 産経新聞 1998, p. 1.
- ^ “NHKディレクター 吉田照幸氏 - DODAのヒット人メーカー 03 青春悶々篇”. インテリジェンス. 2017年2月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月22日閲覧。
- ^ “サラリーマンNEO流、「自分を変える」技術 30過ぎまで不発の人間でも、変われるか?”. 東洋経済オンライン (2014年2月3日). 2014年2月12日閲覧。
- ^ “NHKディレクター 吉田照幸氏 - DODAのヒット人メーカー 04 個性胎動篇”. インテリジェンス. 2017年2月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月22日閲覧。
- ^ “NHKディレクター 吉田照幸氏 - DODAのヒット人メーカー 05 苦闘苦楽篇”. インテリジェンス. 2017年2月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月22日閲覧。
- ^ 産経新聞 1998, p. 2.
- ^ “NHKディレクター 吉田照幸氏 - DODAのヒット人メーカー 06 NEO個性論篇”. インテリジェンス. 2017年2月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月22日閲覧。
- ^ “監督日記36”. サラリーマンNEO公式サイト. 日本放送協会 (2012年6月20日). 2012年12月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年7月27日閲覧。
- ^ 兵庫慎司、古河晋、井上貴子、川辺美希「『あまちゃん』が日本の朝を変えてしまった」『Cut』第24巻第12号、ロッキング・オン、2013年7月19日、30頁。
- ^ 日本実業出版社 (2013年11月8日). “「NHKにはない、NHKにしかできない番組」を作り上げた人物が考える、“ありきたり”の壊し方とは?”. PR TIMES. 2013年11月8日閲覧。
- ^ 受賞結果総評 | 第106回ドラマアカデミー賞、ザテレビジョン、2021年2月22日閲覧。
- ^ アーカイブ:大山勝美賞、放送人の会、2021年5月3日閲覧。
- ^ “志村けん「ひとつの役でずっと一時間というのは初めて」”. NHK_PR. 日本放送協会. 2018年1月9日閲覧。
- ^ “エール」第4週は「脚本 吉田照幸」チーフ演出の名前がクレジット 降板の林宏司氏は変わらず「原作」”. スポーツニッポン新聞社 (2020年4月20日). 2020年11月30日閲覧。
- ^ “VRおじさんの初恋|ドラマ情報”. 映画ナタリー. ナターシャ (2024年3月25日). 2024年5月11日閲覧。
- ^ “「鎌倉殿の13人」の裏側に密着「100カメ」スタッフが語る密着秘話とドラマの魅力<インタビュー> ”. Webザテレビジョン (2022年6月12日). 2022年6月21日閲覧。
参考文献
[編集]- 滝口亜希 (2009年5月3日), “【仕事人】(19) 「サラリーマンNEO」ディレクター・吉田照幸さん (39) NHKにない番組を作りたかった”, MSN産経ニュース (産経新聞社), オリジナルの2009年5月5日時点におけるアーカイブ。 2012年7月26日閲覧。
- “第12回 NHKの常識をぶち壊せ! 〜NHKエンターテインメント戦略〜”, 大学コンソーシアム京都・平成23年度NHK講座 (立命館大学産業社会学部), (2011年7月1日) 2012年7月26日閲覧。
外部リンク
[編集]- 吉田照幸 (teruyuki.yoshida.9) - Facebook
- 吉田照幸 (@teru_teru_bowz) - X(旧Twitter)