吉田玉助
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吉田 玉助(よしだ たますけ)は、人形浄瑠璃の人形遣い。
初代
[編集]初代吉田玉造の実子。異母兄は初代桐竹紋十郎。1864年から人形遣いになる。夭折。実子が地唄箏曲家の富崎春昇。
弟子に4代目吉田文五郎等。
2代目
[編集]後の2代目吉田玉造。
3代目
[編集](1895年2月10日 - 1965年2月22日)本名:小西奈良吉。
奈良の生まれ、1906年に3代目吉田玉造に入門し吉田玉小を名乗り堀江座に入座。1916年に文楽座に転座。1925年に初代吉田玉幸と改名。1942年5月に「本朝廿四孝」の山本寛助、「平家女護島」の瀬尾太郎を遣って3代目玉助を襲名。立役に優れた。
大正、昭和を生き抜き衰退にあった文楽の復興に力を尽くした。
養子に2代目吉田玉幸(2007年死去)、孫に5代目吉田玉助。
4代目
[編集]3代目の養子2代目吉田玉幸が死後追贈。