吉田茂登彦
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吉田 茂登彦 | |
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生誕 |
1897年1月1日 日本 熊本県 |
死没 | 1982年2月26日(85歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1918年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
吉田 茂登彦(よしだ もとひこ[1]、1897年(明治30年)1月1日[2] - 1982年(昭和57年)2月26日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]1897年(明治30年)に熊本県で生まれた[2]。陸軍士官学校第30期、陸軍大学校第38期卒業[2]。1938年(昭和13年)2月に陸軍省整備局整備課高級課員に就任し[1]、1939年(昭和14年)1月16日に支那駐屯歩兵第2連隊長(北支那方面軍・第27師団)に転じ[1]、日中戦争に出動した[2]。同年3月9日に陸軍歩兵大佐に進級[1]。1940年(昭和15年)3月に第4師団参謀長(第11軍)に転じ[1]、漢水作戦などに参加し[2]、内地に帰還した[2]。
1943年(昭和18年)3月1日に陸軍少将に進級し[1]、3月25日に南方燃料廠附となり[2]、南方方面に出征[2]。1944年(昭和19年)3月に南方燃料本部総務部長を経て[2]、1945年(昭和20年)7月5日に第2軍参謀長(南方軍)に転じ[2]、セレベス島・ピンランで終戦を迎えた[2]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。