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吉祥寺 (古河市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
吉祥寺
所在地 茨城県古河市水海3026
位置 北緯36度08分33.104秒 東経139度45分49.266秒 / 北緯36.14252889度 東経139.76368500度 / 36.14252889; 139.76368500座標: 北緯36度08分33.104秒 東経139度45分49.266秒 / 北緯36.14252889度 東経139.76368500度 / 36.14252889; 139.76368500
山号 清浄山(淸淨山)
院号 歓喜院(歡喜院)
宗旨 浄土教
宗派 時宗
真言宗(1305年まで)
本尊 阿弥陀如来
中興年 嘉元3年(1305年
慶長2年(1597年) 水海村に移転
中興 真教
正式名 清浄山歓喜院吉祥寺
淸淨山歡喜院吉祥寺
札所等 葛飾坂東観音霊場 第十二番札所
法人番号 7050005005660 ウィキデータを編集
吉祥寺 (古河市)の位置(茨城県内)
吉祥寺 (古河市)
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吉祥寺(きちじょうじ)は、茨城県古河市水海にある時宗の寺院。山号を清浄山、院号を歓喜院という。本尊は阿弥陀如来清浄光寺(現在は藤沢市)の末寺。[1] [2]

歴史

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創建について詳細は不明だが、寺伝によれば、もとは水海南部・現在の利根川近くの柳原にあり、真言宗寺院だったが、嘉元3年(1305年)、一遍の弟子・真教が滞在したおりに時宗に改宗したとされる[1]

寺があった柳原は古河公方重臣・簗田氏居城の水海城に隣接し、正蔵寺実相寺普舜院などの寺院が密集していた。また港湾部にもなっており、現在の利根川下流域、すなわち当時の常陸川香取内海の交通・交易の拠点となっていた。吉祥寺も交通・交易に携わる人々に支えられ、創建されたと推定される[3]

天正 18年(1590年)、小田原合戦にともない、豊臣秀吉の軍勢によって柳原一帯も焼き払われ、吉祥寺の堂宇も焼亡。のちの慶長2年(1597年)、内水海の現在地にて再建される[1]

天正 19年(1591年)11月の領地安堵により、5石の寺領があった(「下総国旧事考」)[2]文政 4年(1821年)、堂宇は再び焼失したが、同 6年に再建される[1]

明治 3年(1870年)、檀家は80軒あった(『社寺取調類纂』46 - 172)[2]昭和 39年(1964年)、堂宇の大修築を行ない現在に至る[1]

葛飾坂東観音霊場

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吉祥寺は葛飾坂東観音霊場の第十二番札所。弘法大師作と伝えられる三面六臂の観音が祀られている。なお境内には、梅花観音と洗浄観音があわせて祀られている。ご詠歌は「かねのねは 松の嵐も ささ浪や 水海の名に ひびきこそすれ」[4]

葛飾坂東観音霊場では各寺院に「ご詠歌」があり、参拝時にご詠歌を唱えることは、経文読唱と同じ功徳があるとされる[5]

交通

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  • 鉄道
    • JR宇都宮線東北本線古河駅 東口から約8km
      • タクシー20分
      • 徒歩100分
      • 同駅西口にて市内観光用無料レンタル自転車「コガッツ」利用可[6]
      • バス利用の場合は、同駅西口にて朝日バス境車庫行き乗車・水海寺前下車・徒歩6分(約0.5km)
    • JR宇都宮線(東北本線)栗橋駅 東口から約8km
      • 徒歩100分

脚注

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  1. ^ a b c d e 総和町史 民俗編』 457頁(吉祥寺)
  2. ^ a b c 『総和町史 通史編 近世』 385頁(町内の寺院 水海村・松本剣志郎 執筆)
  3. ^ 『総和町史 通史編 原始・古代・中世』 493 - 497頁(古寺院の密集する景観、中世都市六浦・品川との類似 ・ 内山俊身 執筆)
  4. ^ 鈴木印刷所 制作・印刷・製本 『葛飾坂東札所めぐり公認ガイドブック 葛飾坂東観音御開帳』 平成26年(2014年)、54頁(吉祥寺)
  5. ^ 鈴木印刷所 制作・印刷・製本『葛飾坂東札所めぐり公認ガイドブック 葛飾坂東観音御開帳』 平成26年(2014年)、11頁(葛飾坂東観音御開帳のあらまし)
  6. ^ 駅西口前「花桃館」(まちなか再生市民ひろば)にて・古河市公式サイト 観光・歴史 古河市の観光パンフレットより

参考文献

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  • 鈴木印刷所 制作・印刷・製本 『葛飾坂東札所めぐり公認ガイドブック 葛飾坂東観音御開帳』 平成26年(2014年)
  • 総和町史編さん委員会 編 『総和町史 通史編 原始・古代・中世』 総和町、平成17年(2005年)
  • 総和町史編さん委員会 編 『総和町史 通史編 近世』総和町、平成17年(2005年)
  • 総和町史編さん委員会 編 『総和町史 民俗編』 総和町、平成17年(2005年)

外部リンク

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