吉良成高
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時代 | 室町時代 |
---|---|
生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
幕府 | 室町幕府 |
主君 | 足利成氏→上杉持朝 |
氏族 | 吉良氏 |
父母 | 吉良政忠 |
妻 | 上杉持朝の娘 |
子 | 吉良頼康 |
吉良 成高(きら しげたか、生没年不詳)は、室町時代の武将。武蔵吉良家当主。
生涯
[編集]宝徳3年(1454年)、鎌倉公方の足利成氏が、対立していた関東管領・上杉憲忠を謀殺して享徳の乱が勃発すると、関東諸将は、鎌倉公方派か関東管領派に分裂して抗争を繰り返すことになる。成高は、上杉持朝の娘を妻に娶っていたことから関東管領派に属した。やがて、文明8年(1476年)に上杉家の有力家臣・長尾景春が謀反を起こすと、管領派だった関東諸将も景春に呼して反旗を翻した。扇谷上杉家の家宰太田道灌が、武蔵の国人・豊島氏討伐のために出陣すると、成高は道灌に代わって江戸城代を務め、数度の合戦を下知して勝利を挙げた[1]。
参考文献
[編集]- ^ 『室町時代人物事典』 水野大樹薯