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吉良義勝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
吉良義勝
時代 江戸時代中期
生誕 寛保3年(1743年
死没 安永6年11月24日1777年12月23日
別名 三郎
戒名 通関院殿瑞叟良的
幕府 江戸幕府旗本
氏族 清和源氏足利氏流、吉良氏庶流東条家→吉良家
父母 父:吉良義孚、母:稲富直暀の娘[1]
山本正識の娘
義渡義質
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吉良 義勝(きら よしかつ)は、江戸時代中期の旗本

明和3年(1766年)4月、父吉良義孚が没すると家督を相続する。同8年(1771年)11月27日、書院番に任じられた。安永6年(1777年)死去。家督は長男の義渡が相続した。

脚注

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  1. ^ 「養寿寺本吉良氏系図」では比留七右衛門の娘。

参考文献

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  • 養寿寺本吉良氏系図(「吉良町誌」所収)
先代
吉良義孚
東条義叔流吉良家第2代当主
1766年 - 1777年
次代
吉良義渡