吉良義勝
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 寛保3年(1743年) |
死没 | 安永6年11月24日(1777年12月23日) |
別名 | 三郎 |
戒名 | 通関院殿瑞叟良的 |
幕府 | 江戸幕府旗本 |
氏族 | 清和源氏足利氏流、吉良氏庶流東条家→吉良家 |
父母 | 父:吉良義孚、母:稲富直暀の娘[1] |
妻 | 山本正識の娘 |
子 | 義渡、義質 |
明和3年(1766年)4月、父吉良義孚が没すると家督を相続する。同8年(1771年)11月27日、書院番に任じられた。安永6年(1777年)死去。家督は長男の義渡が相続した。
脚注
[編集]- ^ 「養寿寺本吉良氏系図」では比留七右衛門の娘。
参考文献
[編集]- 養寿寺本吉良氏系図(「吉良町誌」所収)
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