吉野一之助
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吉野 一之助(よしの かずのすけ[1]、1902年(明治35年)5月19日[1] - 没年不明)は、日本の政治家。埼玉県会議員[1]。
経歴
[編集]埼玉県北埼玉郡南河原村(現・行田市)出身[1]。吉野貞蔵の長男[1][2]。1921年に熊谷中学校を卒業する[1][2]。農業を営んだ[2]。
1926年に南河原村青年団長に就任、同村長、北埼玉郡町村会理事を歴任して、1947年に埼玉県議に当選、総務常任委員長に就任する[1]。
傍ら1946年に元荒川支派川普通水利組合会議員に選ばれ、1950年に羽生地区署管内西部交通安全協会長に推された[1]。
人物
[編集]吉野一之助について、1943年に刊行された『帝国信用録 第36版』には「職業・履物表、店舗又は住所・北埼玉南河原、開業年月・明治20」とある[3]。
趣味は剣道、庭球、読書[1]。宗教は真宗[2]。住所は埼玉県北埼玉郡南河原村[1]。
家族
[編集]- 吉野家
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 帝国興信所『帝国信用録 第36版』帝国興信所、1943年。
- 人事興信所編『人事興信録 第15版 下』人事興信所、1948年。
- 人事興信所編『人事興信録 第16版 下』人事興信所、1951年。
- 通商産業省大臣官房調査統計部編『全国工場通覧 昭和45年版』日刊工業新聞社、1969年。