コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

吉野一之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

吉野 一之助(よしの かずのすけ[1]1902年明治35年)5月19日[1] - 没年不明)は、日本政治家埼玉県会議員[1]

経歴

[編集]

埼玉県北埼玉郡南河原村(現・行田市)出身[1]。吉野貞蔵の長男[1][2]1921年熊谷中学校を卒業する[1][2]農業を営んだ[2]

1926年に南河原村青年団長に就任、同村長、北埼玉郡町村会理事を歴任して、1947年に埼玉県議に当選、総務常任委員長に就任する[1]

傍ら1946年に元荒川支派川普通水利組合会議員に選ばれ、1950年に羽生地区署管内西部交通安全協会長に推された[1]

人物

[編集]

吉野一之助について、1943年に刊行された『帝国信用録 第36版』には「職業・履物表、店舗又は住所・北埼玉南河原、開業年月・明治20」とある[3]

趣味は剣道庭球、読書[1]。宗教は真宗[2]。住所は埼玉県北埼玉郡南河原村[1]

家族

[編集]
吉野家

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『人事興信録 第16版 下』よ28頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年7月4日閲覧。
  2. ^ a b c d 『人事興信録 第15版 下』ヨ12頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年7月4日閲覧。
  3. ^ 『帝国信用録 第36版』埼玉県ヨ29頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年7月5日閲覧。
  4. ^ 『全国工場通覧 昭和45年版』832頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年7月7日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 帝国興信所『帝国信用録 第36版』帝国興信所、1943年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第15版 下』人事興信所、1948年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第16版 下』人事興信所、1951年。
  • 通商産業省大臣官房調査統計部編『全国工場通覧 昭和45年版』日刊工業新聞社、1969年。