コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

吉野梅園

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

吉野梅園(よしのばいえん)は、大分県大分市の吉野地区(大字杉原)にある梅園である。

概要

[編集]

樹齢800年の臥龍梅(約50本)、大分県の県木・県花である豊後梅[1]、寒紅梅、青軸梅、白加賀など、計約450本のが植えられている、大分県内でも有数の規模の梅園である。

園内には、吉野天満社があり、また、府内藩第6代藩主松平近儔がこの地を訪れた際に詠んだ「よしの芳野かしこは桜ここは梅」の句碑や[2]松尾芭蕉の「この梅に牛も初音と啼つべし」の句碑が建てられている[3]

梅は毎年2月中旬から3月中旬に満開になり、開花期には吉野梅まつりが行われ、江戸時代から吉野地区に伝わる吉野棒術、臥龍梅音頭、臥龍梅太鼓等のさまざまな催しが行われる[4]

臥龍梅

[編集]

この梅園にある臥龍梅には、次のような言い伝えがある。

1192年建久3年)、藤原信近という者が禁裏守護の任から退きこの地に居を構えた。その子の近里は神仏を篤く信仰し、孝行者として知られていたが、ある日、薪をとりに山に行った時に誤って右脛の骨を折り、足が不自由になった。

ある晩、近里の夢に翁が現れ、太宰府天満宮に祈願すれば怪我は癒えるとのお告げがあった。そこで近里は太宰府に詣で17日間参籠した。すると、満願の夜に貴顕の士(菅原道真)が現れ、梅の枝を授けるので、これを自分と思って祈願すれば怪我は平癒すると告げた。

翌朝、目覚めると、近里のそばには一枝の梅の花が置かれていた。近里がこれを持ち帰り土に挿すと、梅の樹は青々と育ち、その成長につれて近里の怪我も平癒した。幹が曲がりくねり、地を這うように茂った梅の樹は、その姿が地に臥した龍のようであることから、臥龍梅と呼ばれるようになった[2][3]

交通

[編集]

脚注

[編集]

外部リンク

[編集]
  • 吉野梅園 - 日本一の「おんせん県」大分県の観光情報公式サイト
  • 吉野梅園 - 大分市観光協会

座標: 北緯33度7分2.7秒 東経131度40分50.9秒 / 北緯33.117417度 東経131.680806度 / 33.117417; 131.680806