吉野義子
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吉野 義子(よしの よしこ 1915年7月13日 - 2010年12月6日[1])は、俳人。台湾台北市に生まれる。父は言語学者の小川尚義。幼時に母方の伯父の養女となり、愛媛県松山市にて育つ。県立松山高等女学校(現松山南高等学校)を経て、1933年、同志社大学英文科に入学。1934年、結婚のため中退。当初は詩を作っていたが、1947年に俳句に転向。1948年、「濱」に入会、大野林火に師事。1954年、「濱」同人。1972年、濱同人賞受賞。1979年、「芭蕉の精神を基盤とした叙情を継承する」として「星」を創刊・主宰。2001年、『流水』により第1回俳句四季大賞受賞。2003年、「星」終刊。代表句に「むらさき着て掌にあたたむる龍の玉」など。国際俳句交流会の理事なども務め国際的にも活躍。俳人協会名誉会員。
2010年、95歳で死去[2]。
著書
[編集]- くれなゐ(1956年)
- はつあらし(1971年)
- 鶴舞(1976年)
- 吉野義子集(1983年)
- 花真(1984年)
- HAIKU SAKURA(1992年)
- budding sakura(2000年)
- 流水(2000年)
- Tsuru(2001年)
- むらさき(2003年)
脚注
[編集]- ^ 『現代物故者事典2009~2011』(日外アソシエーツ、2012年)p.668
- ^ 日米友好の証しの市松人形「3代目」 絵でミシシッピ州へ寄贈 松山の日本画家制作 産経WEST、2015年8月15日配信。
参考文献
[編集]- 現代俳句大事典、三省堂
- 吉野義子記念館ウェブサイト 紹介ページ[1]