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吉開りりぃ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
吉開 りりぃ
2013年8月14日
基本情報
出生名 吉開 芳子
生誕 (1965-07-29) 1965年7月29日(59歳)
出身地 日本の旗 日本福岡県 北九州市小倉
ジャンル J-POP 歌謡曲
職業 シンガー
担当楽器 ブルースハープ タンバリン
活動期間 1986年 -
レーベル Bookridge Records
共同作業者 橋本まさし
公式サイト 吉開りりぃ Official Home Page

吉開 りりぃ(よしかい りりぃ、1965年7月29日 - )は、日本歌手

福岡県北九州市小倉出身。身長158cm 体重48Kg 血液型A型。所属レコード会社はブックリッジ・レコーズ

人物・来歴

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父の影響で幼い頃から1950年代 - 1960年代の洋楽にふれ、キャロル・キングに憧れを抱く様になる。[1]

小、中学校と北九州市少年少女合唱団に在籍し、メゾソプラノを担当。クラシカルな声楽を学ぶ。

海外での演奏旅行や、ウィーンの森少年合唱団との共演などを経験。

兄の影響で洋楽を聴くようになり、高校時代にはロックバンドに参加、キーボードを担当していたが、ボーカリストへ転向。[2]

高校卒業後、21歳で博多のケントスにてシンガーとしてのキャリアをスタートさせる。[1]

27歳で上京。拠点を六本木、新宿、銀座のケントスに移す。

以後、15年間、専属シンガーとしてオールディーズやロックンロールを中心にした曲を歌う。[2]

当時、メジャー・レコード会社よりデビューの打診を数度受けるが頓挫する。

35歳で鬱病を発症する。[3]

37歳でケントスを辞め、ソロ・シンガーとして都内のライヴハウスを中心に活動を行う。

40歳の頃、鬱病を克服する[3]

2010年、再度デビューの話があり、それを期に自分だけが表現できる音楽をプロデューサーの橋本まさしと追究しデビューを目標に制作活動に専念する。

2012年8月8日、47歳でブックリッジ・レコーズよりメジャーデビュー。

2012年10月14日、「STB139 スイートベイジル」にて、吉開りりぃメジャーファーストライブ「人生七色!七変化!悲恋節!シャウトさせていただきます!」を開催した。

2016年11月12日、福岡県立小倉商業高等学校の「創立100周年記念式典」にも出席し自身の話や曲を披露した。[2]

2018年10月21日、北九州市観光大使に就任。[4]


ディスコグラフィー

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シングル

タイトル 発売日 備考
1st 悲恋/数え歌/東京/ごはん 2012年8月8日 初回限定紙ジャケ2枚組
2013年10月30日 通常シングル
2nd 恋はそぞろでふわふわ 2017年10月18日 配信限定
3rd 罰ゲーム 2017年11月1日 配信限定
4th 働く戦士 2017年11月15日 配信限定

アルバム

タイトル 発売日 備考
1st 十三の物語 2017年11月22日

タイアップ

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楽曲 タイアップ
届けに行きたい 藤光謙司リオ五輪応援CM曲[2]/
生命の理由 Reason of Life

脚注

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出典

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  1. ^ a b [1]47歳でメジャーデビュー!遅咲きすぎる美魔女シンガー・吉開りりぃさんに迫る googirl (2013年1月22日)
  2. ^ a b c d [2]小倉出身「遅咲き美魔女シンガー」吉開りりぃさん、母校のステージに立つ 小倉経済新聞 (2016年11月13日)
  3. ^ a b [3] アラ50でメジャーデビュー 遅咲き新人シンガーの壮絶人生 女性自身 2665号(2015年01月26日)
  4. ^ [4]北九州市特命大使一覧 令和元年8月1日 現在

外部リンク

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