同知
表示
同知(どうち、満洲語:ᡠᡥᡝᡳ
ᠰᠠᡵᠠᠴᡳ 転写:uhei saraci)は、中国の宋・明・清の文官の官職名であり、雅称は司馬・分府。宋代の枢密院の副長官である副使(枢密副使)も同知(同知枢密院事)と呼ばれ、長官である枢密使(知枢密院事)を補佐した。また、州府の補佐官も「同知」と呼ばれた[1][2]。
清朝の同知の位階は正五品。通常の職務は知府の補佐で、塩政、犯罪者の捕縛、海防などの行政に携わった。ふつう、この官職は現地の状況に応じて設立され、必要な業務に応じて追加された。外地に派遣駐留する場合、その管轄地は「庁」と呼ばれた。
たとえば、清代の台湾では、17世紀-19世紀に淡水海防同知が設けられた。これは竹塹(現在の新竹市)に派遣駐留して、海防を所轄する官職だった。淡水海防同知が管轄する地区は淡水庁と呼ばれた。