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名古屋市立東山小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
名古屋市立東山小学校
地図北緯35度9分48.9秒 東経136度58分1.58秒 / 北緯35.163583度 東経136.9671056度 / 35.163583; 136.9671056座標: 北緯35度9分48.9秒 東経136度58分1.58秒 / 北緯35.163583度 東経136.9671056度 / 35.163583; 136.9671056
国公私立の別 公立学校
設置者 名古屋市
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B123210000101 ウィキデータを編集
所在地 464-0035
名古屋市千種区橋本町3-20[WEB 1]
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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名古屋市立東山小学校(なごやしりつ ひがしやましょうがっこう)は、名古屋市千種区橋本町にある公立小学校。

歴史

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1942年昭和17年)9月1日、千種区田代町字鳥金において田代国民学校の分校として成立[1]。翌年4月1日、名古屋市東山国民学校として分離独立を果たした[2]

戦況の激化により、1945年(昭和20年)5月8日から10月15日まで愛知県丹羽郡古知野町江南市)において集団疎開を行っている[1]

1947年(昭和22年)4月1日に名古屋市立東山小学校と名称を改めている[3]

1958年(昭和33年)8月27日には星ヶ丘1-4に、1971年(昭和46年)1月8日には見附町3-1-3にそれぞれ分校が成立した[3]。星ヶ丘の分校は1962年(昭和37年)4月1日に星ヶ丘小学校として、見附町の分校は1982年(昭和57年)4月1日に見付小学校としてそれぞれ分離独立を果たしている[3]

児童数の変遷

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『愛知県小中学校誌』(2018年)によると、児童数の変遷は以下の通りである[4]

1947年(昭和22年) 807人
1957年(昭和32年) 2,300人
1967年(昭和42年) 1,775人
1977年(昭和52年) 2,183人
1987年(昭和62年) 1,275人
1997年(平成9年) 870人
2007年(平成19年) 970人
2017年(平成29年) 1,016人

部活動

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部活動として、水泳部・野球部・陸上部・ソフトボール部・サッカー部・バスケットボール部・金管バンド部が活動を行っている[WEB 2]

通学区域

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所管する名古屋市教育委員会は、2018年(平成30年)9月1日現在、千種区のうち、朝岡町1~2丁目・池上町鹿子町唐山町3丁目・清住町楠元町新池町田代町字鹿子殿・東明町猫洞通・橋本町・東山通2~5丁目・日和町2~5丁目・平和公園三丁目・本山町の全域および朝岡町3丁目・唐山町1~2丁目・末盛通5丁目・園山町1丁目・徳川山町3丁目・東山通1丁目・日和町1丁目・平和公園一丁目・平和公園二丁目・四谷通1~2丁目の各一部を通学区域として指定している[WEB 3]

また、卒業後の進学先は名古屋市立東星中学校となっている[WEB 4]

交通アクセス

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脚注

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WEB

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  1. ^ a b 名古屋市教育委員会事務局総務部企画経理課企画統計係 (2018年9月18日). “千種区の小・中学校一覧”. 名古屋市. 2018年11月14日閲覧。
  2. ^ 部活動のページ”. 名古屋市立東山小学校. 2018年12月16日閲覧。
  3. ^ 名古屋市教育委員会事務局総務部教育環境計画室計画係 (2018年9月1日). “名古屋市立小・中学校の通学区域一覧(千種区)” (PDF). 名古屋市. 2018年11月15日閲覧。
  4. ^ 名古屋市教育委員会事務局総務部教育環境計画室計画係 (2018年4月1日). “名古屋市立中学校区一覧(小→中)” (PDF). 名古屋市. 2018年11月14日閲覧。

書籍

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参考文献

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  • 千種区制施行50周年記念事業実行委員会 編『千種区制50周年記念誌 千種区史』千種区制施行50周年記念事業実行委員会、1987年10月1日。 
  • 六三制教育七十周年記念 愛知県小中学校誌 合同記念誌編集特別委員会 編『六三制教育七十周年記念 愛知県小中学校誌』愛知県小中学校校長会・名古屋市立小中学校長会、2018年2月15日。 

関連項目

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外部リンク

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