名古屋市立露橋小学校
名古屋市立露橋小学校 | |
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北緯35度8分59.4秒 東経136度53分12.2秒 / 北緯35.149833度 東経136.886722度座標: 北緯35度8分59.4秒 東経136度53分12.2秒 / 北緯35.149833度 東経136.886722度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 名古屋市 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B123210001173 |
所在地 | 〒454-0022 |
名古屋市中川区露橋一丁目9番41号[WEB 1] | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
名古屋市立露橋小学校(なごやしりつ つゆはししょうがっこう)は、名古屋市中川区露橋一丁目にある公立小学校。
歴史
[編集]1906年(明治39年)5月1日に愛知第三尋常小学校の名称で創設される[1]。校地は小栗橋の近くであったという[1]。現在の校地には1928年(昭和3年)に移転している[1]。
1921年(大正10年)に学校が所在する愛知郡愛知町が名古屋市に吸収され、名古屋市露橋尋常小学校となった[WEB 2]。
1928年(昭和3年)には高等科が併設されることになり、名称を名古屋市露橋尋常高等小学校と改めた[WEB 2]。また前述の通り、校地移転を果たしている[WEB 2]。
名称は1941年(昭和16年)の国民学校令による名古屋市露橋国民学校を経て、1947年(昭和22年)に現名称となっている[WEB 2]。
児童数の変遷
[編集]『愛知県小中学校誌』(2018年)によると、児童数の変遷は以下の通りである[2]。
1947年(昭和22年) | 582人 | |
1957年(昭和32年) | 879人 | |
1967年(昭和42年) | 962人 | |
1977年(昭和52年) | 815人 | |
1987年(昭和62年) | 484人 | |
1997年(平成9年) | 329人 | |
2007年(平成19年) | 279人 | |
2017年(平成29年) | 253人 |
児童活動
[編集]委員会活動
[編集]委員会活動として、2018年(平成30年)度は代表委員会・環境委員会・図書委員会・放送委員会・保健委員会・体育委員会・給食委員会・集会委員会がそれぞれ活動を行った[WEB 3]。
部活動
[編集]部活動として、2018年(平成30年)度は野球部・ソフトボール部・サッカー部・バスケットボール部がそれぞれ活動を行った[WEB 3]。
通学区域
[編集]所轄する名古屋市教育委員会は、2018年(平成30年)9月1日時点で、中川区のうち石場町・笈瀬町・露橋町・露橋一丁目・露橋二丁目・広川町・前並町・柳島町・横堀町の全域と山王一丁目・山王二丁目・八幡本通1丁目の各一部をその通学区域として指定している[WEB 4]。
また、卒業後の進学先は名古屋市立山王中学校となっている[WEB 5]。
交通アクセス
[編集]脚注
[編集]WEB
[編集]- ^ a b 名古屋市役所教育委員会事務局総務部企画経理課企画統計係 (2018年9月18日). “中川区の小・中学校一覧”. 名古屋市. 2018年11月14日閲覧。
- ^ a b c d “沿革”. 名古屋市立露橋小学校. 2018年11月14日閲覧。
- ^ a b “児童活動”. 名古屋市立露橋小学校. 2018年11月14日閲覧。
- ^ 名古屋市教育委員会事務局総務部教育環境計画室計画係 (2018年9月1日). “名古屋市立小・中学校の通学区域一覧(中川区)” (PDF). 名古屋市. 2018年11月14日閲覧。
- ^ 教育委員会事務局総務部教育環境計画室計画係 (2018年4月1日). “名古屋市立中学校区一覧(小→中)” (PDF). 名古屋市. 2018年11月14日閲覧。
文献
[編集]- ^ a b c 中川区制50周年記念誌編集委員会 1987, p. 408.
- ^ 六三制教育七十周年記念 愛知県小中学校誌 合同記念誌編集特別委員会 2018, p. 224.
参考文献
[編集]- 中川区制50周年記念誌編集委員会 編『中川区史』中川区制50周年記念事業実行委員会・中川区役所、1987年10月1日。全国書誌番号:88007237。
- 六三制教育七十周年記念 愛知県小中学校誌 合同記念誌編集特別委員会 編『六三制教育七十周年記念 愛知県小中学校誌』愛知県小中学校校長会・名古屋市立小中学校長会、2018年2月15日。