名和青朗
表示
名和 青朗(なわ せいろう、1915年3月2日[1] - 1979年1月4日[2])は、日本の放送作家、劇作家。本名は津久井柾章(つくい まさあき)[3]。また、名和左膳の筆名もある。
経歴
[編集]東京出身。1938年日本大学芸術科卒業[1]。1946年ひまわり社に入社し、雑誌『それいゆ』の編集者を務めた後[1]、1950年より牧野英二[注釈 1]が創刊した『別冊モダン日本』の編集者となる。他の編集者には吉行淳之介がいた。翌年13号まで発刊したのち、牧野が出資者と対立して廃刊となる。その後、石坂幸男によって設立された三世社で、牧野・吉行・名和の三人を中心として1952年2月から月刊誌「読切倶楽部」を創刊する。この「読切倶楽部」では名和左膳の筆名で主に漫才を執筆している[注釈 2]。
その後ラジオ番組の脚本を執筆するようになり、親しかった江戸家猫八・三遊亭小金馬・一龍斎貞鳳を誘ってNHKに売り込み、1955年秋からラジオの公開番組「お笑い三人組」が開始された。途中からテレビ放映されるようになり、1966年3月に終了するまで10年以上続く長寿番組となった[4]。他に「蝶々のしゃぼん玉人生」「セールスマン水滸伝」「やじきた志ん幹線」「なんでも110番」など数多くのコメディドラマを執筆。
2006年6月9日にNHK衛星第2で放映された「週刊お宝TV」では「お笑い三人組」を取り上げ、妻の津久井貴久子が出演した[5]。
テレビ脚本
[編集]テレビ脚本については「テレビドラマデータベース」に「名和青朗」と入れて検索した結果を元にしている。
- お笑い三人組(NHK、ラジオ1955年-1960年、テレビ1956年-1966年)[6]
- 蝶々のしゃぼん玉人生(ラジオ東京、1958年-1960年)
- あっぱれ蝶助 無茶修業(フジテレビ、1958年-1959年、脚本は他に志磨八郎)[7]
- セールスマン水滸伝(フジテレビ、1959年-1961年、脚本は他に山下与志一、藤田秀弘)
- マラソン人生(フジテレビ、1962年)
- いかすぜ珍商売(フジテレビ、1963年-1966年?、脚本は他に酒井俊)[8]
- やじきた志ん幹線(TBS、1966年、脚本は他に大西信行)
- なんでも110番(フジテレビ、1966年-1967年、脚本は他に大西信行)
テレビ脚本・単発
[編集]- 天才児現わる(NHK、1954年7月2日、番組名「お好み風流亭」)
- 許婚上京す(NHK、1954年9月3日、番組名「お好み風流亭」)
- 嘘つき病院(NHK、1954年11月15日、番組名「お好み風流亭」)
- 押売御無用(NHK、1955年7月27日)
- みんな揃っておめでとう―東京産経ホール―(NHK、1958年1月3日、番組名「新年子供大会」)
- ノンビリ先生とセッカチ先生(NHK、1958年5月5日)
- お笑い曽我物語(NHK、1959年1月1日)
- 蝶々のしゃぼん玉人生 四つの恋の物語(NHK、1960年1月1日)[9]
- 俺はラッキーだ!(フジテレビ、1960年1月1日、番組名「初笑いバラエティショウ」)
- 五人の若さま(NHK、1960年5月5日)
- 初笑い酔虎伝(NHK、1962年1月2日)
- 1/5の幸福(日本テレビ、1964年2月1日)
- 禁酒宣言(日本テレビ、1964年12月21日、番組名「夫婦百景」第346回)
- 初夢かついで東海道(NHK、1965年1月1日)
- この忙しいのに…(NHK、1965年12月19日、番組名「家庭劇場」第36回)
- ぽてとふらい(日本テレビ、1966年5月31日、番組名「夫婦百景」第358回)
- 勢ぞろい清水港(日本テレビ、1966年、2話を担当?)
創作落語
[編集]- めでたい仲間(別冊宝石34号「新作捕物帳」、1954年1月)
- 捕物小僧(別冊宝石36号「新作捕物帳」、1954年4月)
- 夫婦どろ(別冊宝石40号「江戸好色捕物帳」、1954年9月)
- 病気を楽しむ男(第1回創作落語会、1962年9月29日、演:三遊亭小金馬)
作詞
[編集]- お笑い三人組(歌:三遊亭小金馬・一龍齋貞鳳・江戸家猫八、作曲:土橋啓二、1956年頃?)
- みんみんミゼットの歌[注釈 3](歌:楠トシエ、作曲:土橋啓二、1957年頃?)
- 彼奴ばかりがなぜもてる[注釈 4](歌:渥美清、作曲:土橋啓二、1962年)
- 恋すれど恋すれど物語(歌:渥美清、作曲:土橋啓二、1963年)
- もててもてて困ってしまう(歌:渥美清、作曲:土橋啓二、1963年)
- やじきた志ん幹線(歌:古今亭志ん朝・谷幹一、作曲:宇野誠一郎、1966年)
- 俺がやらなきゃ誰がやる(歌:東京ぼん太、作・編曲:土橋啓二、1971年)
映画原作
[編集]その他・漫画原作など
[編集]- あのじのはなし(著:なわせいろう、絵:くめこういち、青葉書房、1957年)
- かるたあそび(著:なわせいろう、青葉書房、1958年)
- お笑い三人組 猛犬にご注意(原作:名和青朗、絵:磯島しげじ、集英社、1958年)
- 忍術きえ太郎(原作:名和青朗、作:宮坂栄一、日の丸、1959年頃?)
- 板チョコ天使(原作:名和青朗、絵:しのだひでお、講談社、1959年-1960年)
- 三平くん(原作:名和青朗、絵:やまねたかし、講談社、1960年-1961年)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c 『人事興信録 第23版 下』人事興信所、1966年、な4頁。
- ^ 『昭和物故人名録 : 昭和元年~54年』日外アソシエーツ、1983年、p.372。
- ^ 名和青朗 - KYODO NEWS IMAGELINK(2021年6月15日閲覧)
- ^ 『テレビドラマ全史 1953-1994』東京ニュース通信社、1994年、pp.30-31
- ^ 週刊お宝TV 「お笑い三人組」 - 番組表検索結果詳細 - NHK
- ^ お笑い三人組:NHKアーカイブス
- ^ あっぱれ蝶助 無茶修業:テレビドラマデータベース
- ^ いかすぜ珍商売:テレビドラマデータベース
- ^ 蝶々のしゃぼん玉人生 四つの恋の物語:テレビドラマデータベース
- ^ あいつばかりが何故もてる(DVD) | 松竹DVD倶楽部(2021年6月15日閲覧)