名島水上飛行場
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名島水上飛行場 福岡飛行場(水上機専用) | |||||||
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IATA: - - ICAO: - | |||||||
概要 | |||||||
国・地域 | 日本 | ||||||
所在地 | 福岡県糟屋郡多々良村名島(現・福岡市東区名島1-1) | ||||||
種類 | 民間・水上飛行場 | ||||||
運営者 | 逓信省航空局 | ||||||
開設 | 1930年(昭和5年)3月 | ||||||
閉鎖 | 1934年(昭和9年) | ||||||
座標 | 北緯33度38分51.1秒 東経130度25分28.8秒 / 北緯33.647528度 東経130.424667度座標: 北緯33度38分51.1秒 東経130度25分28.8秒 / 北緯33.647528度 東経130.424667度 | ||||||
地図 | |||||||
空港の位置 | |||||||
滑走路 | |||||||
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位置は米軍航空写真より。 | |||||||
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空港の一覧 |
名島水上飛行場(なじますいじょうひこうじょう)は、福岡県糟屋郡多々良村名島の多々良川河口付近(現在の福岡市東区名島1-1)にあった水上機専用の水上飛行場。
概要
[編集]逓信省航空局により1930年(昭和5年)3月に設置された。名島水上飛行場は通称名であり、正式名称は「福岡飛行場(水上機専用)」である[1]。陸地7500坪、格納庫900坪、簡易修理設備、燃料類、電信・電話、無線電信を常備。重量10トンまでの陸揚げ用クレーン2基を備えていた[1]。福岡無線電信局 (呼出符号 JXF) を併設[2]。日本航空輸送が大阪、中国、朝鮮、台湾方面への航空路を開設した。
1931年(昭和6年)9月17日には世界一周中のリンドバーグ夫妻を乗せたシリウス号が来訪した。
水上機専用のため使い勝手が悪く、1934年(昭和9年)に閉鎖された[3]。格納庫2棟は1936年に開設された福岡第一飛行場に移設された。
現在
[編集]2021年現在、跡地は完全に埋め立てられ住宅地となり、記念碑(「名島水上飛行場跡の碑」福岡市東区名島1-1-24) のみが残る。資料記載の所在地は東経130度26分、北緯33度39分[1] 実際の位置は東経130度25分29秒、北緯33度38分52秒付近。
2007年(平成19年)、名島校区自治協議会によって名島周辺の古い道路・史跡へ通じる道路の愛称が公募された。その結果、水上飛行場跡を囲む道路が「リンドバーグ通り」、名島橋東交差点から水上飛行場跡に至る道路が「飛行場通」と名付けられている[4]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 「旧名島水上飛行場」の意。S/SはSeaplane Stationの略。
出典
[編集]- ^ a b c 航空年鑑 昭和5年7月、出版者 帝国飛行協会、P205、「各國民間飛行場槪觀」
- ^ 航空年鑑 昭和10年、出版者 帝国飛行協会、P306、「本邦航空無線電信局」
- ^ 東区歴史街道を往く Vol.2 - 福岡市 (PDF)
- ^ さんぽ会《名島グループ》. “ロマンを伝える31のストリート物語 名島・多々良 名島・松崎地区歴史ガイドマップ” (PDF). 2021年8月30日閲覧。
出典・参考文献
[編集]- 柳猛直『福岡歴史探訪 東区編』(海鳥社、1995年)
- 空閑龍二『福岡歴史がめ煮 東区編』(海鳥社、2010年)
- “福岡市東区 歴史・名所 ~名島火力発電所、名島水上飛行場跡~”. 福岡市東区 区政推進部 企画振興課 (2010年3月27日). 2011年6月28日閲覧。
関連項目
[編集]- 名島橋:当飛行場への道路整備の一環として架橋された。