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名村元義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
名村 元義
時代 幕末
生誕 享和2年(1802年
死没 安政6年9月7日1859年10月2日
改名 名村貞四郎、貞五郎、八右衛門
別名 花蹊(号)[1]
戒名 徳翁元義居士
墓所 長崎晧台寺
幕府 江戸幕府阿蘭陀通詞
氏族 藤原姓名村氏別家(八右衛門系)[1]
父母 名村元武
兄弟 小川慶右衛門
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名村 元義(なむら もとよし)は幕末阿蘭陀通詞蘭学者長崎通詞名村氏別家7代目。ジャーナリスト福地源一郎の師で、一時養子とした。

経歴

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享和2年(1802年)生まれ[1]文政5年(1822年)稽古通詞、文政11年(1828年)小通詞末席となり、天保3年(1832年)から天保6年(1835年)まで江戸天文台に勤務し、天保8年(1837年)小通詞並[1]。天保12年(1841年)9月25日養父三次郎が死去し、家督を継いだ[1]弘化元年(1844年)小通詞助、弘化2年(1845年)小通詞[1]嘉永元年(1848年)松前から護送されてきたラナルド・マクドナルドの通訳に当たった[1]。安政2年(1855年)大通詞過人、安政4年(1857年)大通詞[1]長崎海軍伝習所カッテンディーケ等の講義を通訳した[1]。嘉永2年(1849年)年番小通詞、嘉永4年(1851年)・安政元年(1854年)・安政3年(1856年)・安政4年(1857年)参府休年出府通詞を務めた[1]。安政6年(1859年)9月7日万屋町で死去し、晧台寺に葬られた[1]。戒名は徳翁元義居士[1]

訳書等

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  • 『西暦新編』 - 天文台時代の作[1]。ペイポ・ステーンストラ (Pibo Steenstra) 原著[2]天保8年(1837年)天文方山路諧孝[3]
  • 『遠西火攻精選』 - 高島秋帆オランダ商館長ニーマンから入手したセッセレル著『主要花火工品製造に関する便覧』[4]の翻訳で、19世紀初の砲術翻訳書。江川英龍門下に流布した[5]
  • 『和蘭炮術全書』 - オーフルストラテン (J.P.C. van Overstraten) 原著[6]
  • 『泰西水軍操砲鑑』 - ピラール (Jan Carel Pilaar) 原著[7]
  • 『歩兵全書』[1]
  • 『遠西軍艦砲要』[1]
  • 「阿蘭陀国軍艦長崎入港仕末」 - 天保15年(1844年)来港したフリゲートの見聞記[8]

弟子

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親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa 石原 1988.
  2. ^ Grondbeginsels der sterrekunde - Google ブックス
  3. ^ 西洋天文学の導入”. 貴重資料展示室. 国立天文台三鷹図書室. 2017年5月15日閲覧。
  4. ^ Sesseler, J. W., Handboek ter vervaardiging van Ernstvuurwerken, zoo als die bij de Nederlandsche land- en Zeemagt in gebruik zijn, Delft, 1823 - Google ブックス
  5. ^ 山田 2014.
  6. ^ 和蘭炮術全書(書写)”. 古文書目録. 佐賀県立図書館. 2017年5月14日閲覧。
  7. ^ LCCN 99-432713 – Taisei suigun sōhōkan
  8. ^ 長崎遺響』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

参考文献

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  • 石原千里「オランダ通詞名村氏 常之助と五八郎を中心に」『英学史研究』第1989巻第21号、日本英学史学会、1989年、37-60頁、doi:10.5024/jeigakushi.1989.37 
  • 山田研治「幕末のメートル法による近世度量衡の生成 : 高島流砲術の系譜を中心として」『計量史研究』第36巻第1号、日本計量史学会、2014年、37-48頁、ISSN 0286-7214NAID 110009816713