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名蔵橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
名蔵アンパルと名蔵大橋(バンナ公園から)

名蔵橋(なぐらばし)は、沖縄県石垣市石垣島西部を流れる名蔵川の河口に架かるである。

歴史

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島内交通の要所で、当初は木造であった。18世紀中頃に断橋したため、その後は干潮時に浅瀬を渡川していた。乾隆32年(1767年)に石垣島を視察した与世山親方の命令により、耐久性の高い自然石による架橋を目指したが着工されなかった[1]。しかし、その後も渡川時に水難事故が相次ぎ、乾隆40年(1775年)に丸木橋が設けられた[2]。その後も石橋架橋の命令は出たが[3]、実現したのは近世末期である[4]

現在は、砂洲の北側に名蔵大橋、南側に名蔵小橋が架かり、南部の市街地と北西部を結んでいる。名蔵大橋は明治以降、何度も架け替えられている。第二次世界大戦後の1950年(昭和25年)2月28日には、戦前に途中まで造られていたコンクリート橋に鉄橋を継ぎ足した橋が開通した。その後、鉄橋部分が腐食したため、全体を鉄筋コンクリート構造とした橋が1963年(昭和38年)5月に開通している[5]。現在の橋は、1984年(昭和59年)2月1日に開通したものである[6]

また、小橋の下の流れをアンパルミジュ(網張溝)と呼んでいる。

参考文献

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  • 日本歴史地名大系(オンライン版) 小学館 (『日本歴史地名大系』 平凡社、1979年-2002年 を基にしたデータベース)
  1. ^ 『与世山親方八重山島規模帳』
  2. ^ 『大波之時各村之形行書』
  3. ^ 『翁長親方八重山島規模帳』
  4. ^ 『富川親方八重山島規模帳』
  5. ^ 八重山近・現代史略年表 昭和20年8月15日~昭和47年5月14日まで 石垣市
  6. ^ 八重山近・現代史略年表 昭和47年5月15日~昭和64年1月7日まで 石垣市

関連項目

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外部リンク

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