名誉法廷
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名誉法廷(ドイツ語: Ehrenhof)は、ナチス・ドイツで設置された裁判所である。
概要
[編集]名誉法廷は、1944年8月2日にアドルフ・ヒトラーによる総統命令で設置された[1] 。法廷はドイツ国防軍陸軍の元帥及び将官によって構成されていた。
1944年7月20日、ドイツ陸軍参謀大佐であったクラウス・フォン・シュタウフェンベルクらによるヒトラー暗殺計画・7月20日事件が起こった。これをうけ、計画に加担した軍人を裁くこととなったが、軍籍にある者は通常ライヒ戦争裁判所の公判(早い話、軍法会議のこと)に付される。しかしヒトラーは計画に加担した軍人を人民法廷で裁くよう命じた。そのため不逮捕特権の剥奪も兼ねて一度軍籍を剥奪する必要が生じ、名誉法廷の設置に至った。
名誉法廷では7月20日事件に加担したとして55人の軍籍が剥奪され、ローラント・フライスラーが裁判長を務める人民法廷へ送られた。
構成
[編集]階級は名誉法廷設置当時
- ゲルト・フォン・ルントシュテット陸軍元帥 (議長)
- アウグスト・フォン・マッケンゼン陸軍元帥
(名誉委員) - ヴィルヘルム・カイテル陸軍元帥
- ハインツ・グデーリアン上級大将
- ヴァルター・シュロート歩兵大将
- カール・クリーベル歩兵大将
- カール=ヴィルヘルム・シュペヒト中将
- ハインリヒ・キルヒハイム中将
脚注
[編集]- ^ Führererlass „Bildung eines Ehrenhofes zur Überprüfung der Beteiligten am Attentat vom 20.7.1944“, Adolf Hitler, 2. August 1944, dokumentiert in: Martin Moll: Führer-Erlasse 1939–1945. Franz Steiner Verlag, Stuttgart 1997.
参考文献
[編集]- Arnim Ramm: Der 20. Juli vor dem Volksgerichtshof. Wissenschaftlicher Verlag Berlin, Berlin 2007, ISBN 978-3-86573-264-4 (Schriften zur Rechtswissenschaft 80), (Zugleich: Kiel, Univ., Diss., 2006).
- Günter Gribbohm: Das Reichskriegsgericht. Die Institution und ihre rechtliche Bewertung. Berliner Wissenschafts-Verlag, Berlin 2004, ISBN 3-8305-0585-X (Juristische Zeitgeschichte. Abt. 1: Allgemeine Reihe 14).
外部リンク
[編集]- Marion Gräfin Dönhoff: Der Geist Guderians. Die Zeit, Ausgabe 17/1965, 23. April 1965.
- Johannes Tuchel: Die Rache des Regimes. Die Zeit, Ausgabe 51/2004, 9. Dezember 2004.
- Der 20. Juli 1944. Gedenkstätte Plötzensee, 2003.
- Die Rache des Regimes. Bayerische Landeszentrale für politische Bildungsarbeit, 2004.