名越二荒之助
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人物情報 | |
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生誕 |
1923年3月14日 日本 岡山県笠岡市 |
死没 | 2007年4月11日(84歳没)[1] |
国籍 | 日本 |
出身校 | 山口高等商業学校(現山口大学経済学部) |
子供 | 長男:名越健郎 |
学問 | |
研究分野 | 社会思想史 |
研究機関 |
高千穂商科大学 台湾東方工商専科大学(現・東方技術学院) アメリカ合衆国イオンド大学 |
影響を受けた人物 | 小田村寅二郎他 |
名越 二荒之助(なごし ふたらのすけ、1923年3月14日[2] - 2007年4月11日)は、日本の歴史学者、評論家。元高千穂商科大学教授。専攻は社会思想史。
経歴
[編集]岡山市生まれ。山口高等商業学校卒業後、新京の陸軍経理学校を経て出征。朝鮮半島で終戦を迎え、ソビエト連邦に抑留を経て1950年に帰国。岡山県に戻り高校教師となり、高千穂商科大学助教授を経て1982年に教授。1997年に退職後、著作活動に専念[3]。
2007年4月11日、呼吸不全のため死去[2]。
活動
[編集]教科書問題に関する活動
[編集]パラオにおける慰霊活動
[編集]パラオ共和国の戦没者の慰霊活動をよく行っており、その一環として南洋神社にパラオ挺身隊の顕彰碑を建立した[6]。
ニミッツ提督の詩文
[編集]→「ペリリュー神社」を参照
家族
[編集]家系
[編集]著書
[編集]- 『大東亜戦争を見直そう』 原書房、1968年。新書判
- 『内乱はこうして起る』 原書房、1969年
- 『新世紀の宝庫・日本』 日本教文社、1977年5月、増補版1983年
- 『戦後教科書の避けてきたもの』 日本工業新聞社、1981年9月
- 『反日国家・日本』 山手書房、1984年8月。新書判
- 『史実が語る日本の魂』 モラロジー研究所(廣池学園出版部)、2007年8月。遺著
- 『大東亜戦争を見直そう アジア解放の理想と花開く武士道物語』 明成社(改訂版)、2007年8月
編著・共著
[編集]- 各・展転社刊
- 『世界に生きる日本の心 21世紀へのメッセージ』 1987年10月、新版2003年3月
- 『アジアに生きる大東亜戦争』 1988年10月(ASEANセンター編)
- 『世界から見た大東亜戦争』 1991年12月
- 『秘話 大東亜戦争とアジアの歌声』 1994年2月(てんでんブックレット)
- 『台湾と日本・交流秘話』1996年4月(草開省三共編、許國雄監修)
- シリーズ『世界に開かれた昭和の戦争記念館』
- 〈第1巻〉満州事変と支那事変 2001年2月
- 〈第2巻〉大東亜戦争と被占領時代 2001年10月
- 〈第3巻〉大東亜戦争の秘話 1999年11月
- 〈第4巻〉大東亜戦争その後 2000年5月
- 〈第5巻〉すべての戦没者に捧げる 2002年5月
- その他
- 『日韓2000年の真実』ジュピター出版、1997年7月。ヨゼフ・ロゲンドルフ賞受賞
- 改訂版『日韓共鳴二千年史 これを読めば韓国も日本も好きになる』 明成社、2002年5月
- 『これだけは伝えたい武士道のこころ』、拳骨拓史共著、防衛弘済会、2007年7月。晋遊舎(新版)、2014年8月
- 明成社
- 『明治天皇と日露戦争』、小堀桂一郎、入江隆則、加瀬英明ほか全7名、平成17年(2005年)
- 『語り伝えたい美しい日本の建国』、中西輝政、出雲井晶、坂本多加雄ほか全6名、平成19年(2007年)
- ビデオ「名越二荒之助氏が語る秘話日露戦争」
脚注
[編集]- ^ “VTR特集 「故 名越二荒之助先生を偲んで」 ほか”. 日本文化チャンネル桜 (2007年4月16日). 2019年3月1日閲覧。
- ^ a b 『現代物故者事典2006~2008』(日外アソシエーツ、2009年)p.473
- ^ 名越二荒之助 公式ホームページ
- ^ “商品紹介ページ:大東亜戦争を見直そう―アジア解放の理想と花開く武士道物語”. 紀伊國屋書店. 2017年11月11日閲覧。
- ^ “第094回国会 予算委員会 第4号”. 参議院 (1981年3月9日). 2017年11月11日閲覧。
- ^ “南洋交流協会のあゆみ 平成6年”. 一般財団法人南洋交流協会. 2019年3月1日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 公式ウェブサイト
- 世界に生きる日本の心 - ウェイバックマシン(2006年9月25日アーカイブ分)(伊勢雅臣主宰「国際派日本人養成講座」内の本人HP 上記略歴を承諾の上転載)
- 教科書問題の遍歴