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呂公 (後漢)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

呂 公[1](りょ こう、生没年不詳)は、中国後漢末期の人物。荊州劉表の配下・黄祖の部将。

初平4年(193年)正月、孫堅が荊州に侵攻(襄陽の戦い)した際、黄祖とともに峴山に拠ってこれを迎撃。孫堅は軽騎でこれを討伐せんとしたが、呂公の兵の投石が頭に命中し、頭蓋が割れて死に至る[2]

三国志演義

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羅貫中の小説『三国志演義』では、第7回で登場。劉表の本拠である襄陽が孫堅に包囲された時、蒯良の計略の実行役となる。弓の名手を伴って密かに城を脱出し、峴山へと孫堅を誘い出し、伏兵による落石と矢の雨で孫堅を討ち取る。

呂公が号砲を鳴らして城に勝利を告げると、孫堅配下の軍勢と、それを追撃せんとする劉表の軍勢は乱戦となる。その乱戦の中、呂公はたまたま出くわした程普によって刺殺された[3]

出典

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脚注

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  1. ^ 范曄後漢書』劉表伝でも、三国志と同じく英雄記は注引されるが、そこでは名を呂介とする。
  2. ^ ただし『三国志』孫堅伝の本伝や、その注に引く『典略』では、単に孫堅は黄祖の部下が射殺したとする。
  3. ^ s:zh:三國演義/第007回