呉世璠
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洪化帝 呉世璠 | |
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周 | |
第2代皇帝 | |
王朝 | 周 |
在位期間 | 1678年 - 1681年 |
都城 | 衡陽→貴陽→昆明 |
姓・諱 | 呉世璠 |
生年 | 不詳 |
没年 | 洪化4年(1681年)10月 |
父 | 呉応熊 |
母 | 和碩恪純公主(太宗ホンタイジの娘) |
后妃 | 郭皇后 |
年号 | 洪化 : 1678年 - 1681年 |
呉 世璠(ご せいはん)は、三藩の乱の時期に存在した周の第2代(最後)の皇帝。
生涯
[編集]周の初代皇帝・昭武帝呉三桂の孫、呉応熊と和碩恪純公主(太宗ホンタイジの娘)との間の子、呉世霖の同母弟。昭武元年(1678年)に即位した祖父がすぐに崩御したため即位したが、祖父の死により清軍の攻勢はさらに強まり、湖南を皮切りに長沙、重慶、成都を次々に制圧し、洪化4年(1681年)に逃れた昆明が清軍に陥落されると首を吊って自害し、ここに周は滅亡した。この前後に平南王尚之信、靖南王耿精忠の両藩も取り潰され、三藩の乱は鎮圧された。
康熙22年(1683年)には台湾の鄭氏政権も清に降伏、こうして清の中国への直接支配体制が完成した。
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