呉相稙
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呉 相稙(オ・サンジク、朝鮮語: 오상직/吳相稙、1925年4月18日 - 1992年12月31日)は、大韓民国の政治家。第5・6代韓国国会議員、大韓生命保険協会会長を歴任した[1]。
経歴
[編集]日本統治時代の慶尚北道義城郡出身。ソウル大学校商科大学卒。在学中に左翼の学生運動に参加した。副統領金性洙の秘書官、民主党中央常務委員・青年部次長、新民党組織部次長、民主共和党慶尚北道第10地区党委員長、大韓生命保険協会会長などを務めた[1][2][3]。
1992年12月31日、高麗大安岩洞病院で持病により死去。享年67[2]。
脚注
[編集]- ^ a b “대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2024年10月16日閲覧。
- ^ a b “5·6대 의원 오상직씨” (朝鮮語). 한국일보 (1993年1月1日). 2024年10月16日閲覧。
- ^ “근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2024年10月16日閲覧。