呉笈孫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
呉笈孫
Who's Who in China 3rd ed. (1925)
プロフィール
出生: 1875年同治14年)
死去: 1947年民国36年)
中華民国の旗 中華民国
出身地: 河南省光州固始県
職業: 政治家
各種表記
繁体字 吴笈孙
簡体字 吳笈孫
拼音 Wú Jísūn
ラテン字 Wu Chi-sun
和名表記: ご きゅうそん
発音転記: ウー ジースン
テンプレートを表示

呉 笈孫(ご きゅうそん、繁体字: 吳笈孫; 簡体字: 吴笈孙; 拼音: Wú Jísūn; ウェード式: Wu Chi-sun)は、清末民初の政治家。世湘

事跡[編集]

清末に民政部尚書徐世昌の下で民政部民治司員外郎となり、徐が東三省総督となると、呉笈孫もこれに随行して衙門文案に任ぜられる。徐が京師に呼び戻されると呉もこれに随従し、郵伝部尚書となった徐の下で呉も地位を得た。

中華民国成立後に呉笈孫はいったん引退した。しかし1914年民国3年)5月、徐世昌が北京政府政事堂国務卿(首相の地位)に任ぜられると、呉もその下で政事堂司務所所長として復帰した。1916年(民国5年)5月、国務院印鋳局局長となった。1918年(民国7年)10月、徐世昌が大総統に就任すると、呉笈孫が総統府秘書長に起用されている。呉は南北和平交渉に参与するなど、徐を補佐した。1922年(民国11年)6月、徐の大総統辞任に伴い、呉も秘書長を退いた。

1947年(民国36年)、死去。享年73。

参考文献[編集]

  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • Who's Who in China 3rd ed.. China Weekly Review. (1925) 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
 中華民国の旗 中華民国北京政府
先代
張一麐
総統府秘書長
1918年10月 - 1922年6月
次代
饒漢祥