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呉醒亜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
呉醒亜
Who's Who in China 4th ed. (1931)
プロフィール
出生: 1892年光緒18年)
死去: 1936年民国25年)8月
中華民国の旗 中華民国
出身地: 清の旗 湖北省黄州府黄梅県
職業: 政治家
各種表記
繁体字 吳醒亞
簡体字 吴醒亚
拼音 Wǔ Xǐngyà
ラテン字 Wu Hsing-ya
和名表記: ご せいあ
発音転記: ウー シンヤー
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呉 醒亜(ご せいあ)は、中華民国の政治家。中国国民党国民政府)に属した。

事績

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中国同盟会に早くから参加する。その後も孫文護法運動中国国民党の北伐に参加した。国民革命軍では総司令部秘書、総政治訓練部顧問、第31軍政治訓練部主任などを歴任した。

1928年民国17年)11月、安徽省政府委員に任命された。翌年5月には安徽省民政庁長となり、一時的に省政府主席も代理した(まもなく、石友三が主席に就任)。1930年(民国19年)2月、湖北省政府民政庁長に転じる。1931年(民国20年)5月まで、その地位にあった。

その後も、上海特別市党部常務委員兼社会局局長、全国経済委員会棉業統制委員会委員などを歴任している。1935年(民国24年)11月には、国民党第5期中央執行委員兼組織部委員に選出された。

1936年(民国27年)8月、死去。享年45。

参考文献

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  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1