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周哲大童子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

周哲大童子(しゅうてつだいどうじ、天正9年(1581年) - 天正11年3月7日1583年4月28日))は、戦国大名武田勝頼の息子。武田信勝の弟にあたる。本名は不明。

略歴

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天正10年(1582年)2月から織田信長による武田征伐が始まり、父の勝頼が敗れて3月9日、武田勝頼新府城を焼き、石和の宿まで落ちた際、渡邊加兵衛久郡に命じて当時2歳になる男子を鎮目村に保護させた。男子は翌天正11年(1583年)3月7日に病死し、加兵衛は一町田に葬り、芍薬を植えて弔った[1]

後に加兵衛の孫・太郎兵衛が自宅に石碑を建て、現在も残る[2]法名武性院殿斉理周哲大童子。

脚注

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参考文献

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  • 『甲斐志料集成: 国志部 6巻』(甲斐志料刊行会、1935年、319p)
  • 『東山梨郡誌』(山梨県敎育會東山梨支會 、1916年、756p)