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和泉多摩川緑地(いずみたまがわりょくち)は、1942年(昭和17年)3月に内務省が都市計画決定した都市計画緑地(23.14ヘクタール)である。多摩川の砂利採掘跡や河川敷の一部を指定したもの。大東京への空襲等の被害を局限するために、非建蔽地域で大東京を囲繞する大緑地帯の一翼を形成していた。都市計画事業決定はなされないまま終戦に至った。
現在都市計画区域内に狛江市立西河原公園のほか、東京都水道局用地、防衛省スポーツセンターが点在する。
- 平山剛『戦時期財団法人大東京緑地協会の活動 民間緑地の誘導・集中による環状緑地帯の実現』2011年8月。ISSN 0387-3382。