和田川 (富士市)
和田川 | |
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水系 | 一級水系 富士川 |
種別 | 一級河川 |
延長 | 3,750[1] km |
平均流量 | -- m³/s |
流域面積 | 6.4km² km² |
水源 | 静岡県富士市浅間本町 |
水源の標高 | -- m |
河口・合流先 | 田子の浦港 |
流域 | 静岡県富士市 |
和田川(わだがわ)は、静岡県富士市を流れる富士川水系沼川支流の一級河川。別名に生贄川がある。
地理[編集]
和田川は富士市浅間本町付近を水源とし、途中石坂川と合流して田子の浦港に流入する一級河川である[2]。
かつては富士市伝法字三日市2995番の1地先の湧水池(富知六所浅間神社)を水源としていたが、現在は枯渇している[3]。
生贄川・牲川[編集]
和田川の別名に「牲川(生贄川)」[注釈 1]がある。天明3年(1783年)成立『駿河国志』には以下のようにある。
牲川、吉原依田橋川の下流にて海渚に近し(中略)うるい川、吉原川、須津川、三の流落合て湊となり川船も往来す — 『駿河国志』天香久山塁の項
このように、吉原川(和田川の旧名)の下流は牲川と呼ばれていた[4][5][6]。
また文政3年(1820年)成立『駿河記』の和田川の項には「この川に合し、砂山の辺にて牲川と呼ぶ」とあり、他の地誌と同様に和田川の下流地点の別名が牲川であったとする[7]。
天保14年(1843年)成立『駿国雑志』は牲川の辺りの砂山の西に天の香久山砦跡があったとし[8]、また「牲淵は吉原砂山の西の方也」とあるように、天の香久山砦跡が所在する砂山の西は「牲淵」と呼称されていた[9]。
その他「天香久山の麓に、牲池と云淵あり。河上は陽明寺より流て、駅道に至る。橋あり、川井橋と云。是牲川也、云々」と見え、牲川には川井橋が架かっていたとする[9]。紀行文である貝原益軒『吾嬬路記』の中でも川井(川合)橋について言及され、「川合はし、此川下を三伇といふ。生贄のうたひに作りし所也」とある。
このように地誌等に多く記述が確認される[10]。
毒龍受牲[編集]
牲川の竜女にまつわる伝説があり、『駿国雑志』等に記される[9]。あらすじは以下のようなものである[11]。
あるとき伝法村[注釈 2]の寺院の和尚が、三股淵に毒竜がおり洪水を引き起こし生贄を求めるなどしていたと聞き及んだ。和尚は民を守るため、三股淵で読経しこれを鎮めようとする。その夜、和尚の元に美女が現れ、「我は牲川の竜女なり」と述べる。竜女は続いて、毎年祭りを行い読経し食物を供奉すれば、厄災をもたらさないと述べる。和尚が誓いを求めると、竜女は「みどりの鱗三箇」を残して去った。それより洪水と生贄は止んだという。
支流[編集]
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ^ 治水協議会 2023, p. 2.
- ^ 治水協議会 2023, p. 1.
- ^ 日本名勝図会 田子之浦(富士山かぐや姫ミュージアム)
- ^ 日本歴史地名大系 2000, p. 420.
- ^ 静岡県 1994, p. 433.
- ^ 沼津市 2005, p. 205.
- ^ 『駿河記』巻二十九富士郡巻之六「和田川」
- ^ 『駿国雑志』巻之十九上「天の香久山砦」
- ^ a b c 『駿国雑志』巻之廿四上「毒龍受牲」
- ^ 典籍解題2 1973, p. 403.
- ^ 堤 2008, p. 226-232.
参考文献[編集]
- 東京大学史料編纂所『編脩地誌備用典籍解題2』東京大学出版会〈大日本近世史料〉、1973年。
- 静岡県『静岡県史 通史編1 原始・古代』1994年。
- 「静岡県の地名」編集委員会『静岡県の地名』平凡社〈日本歴史地名大系22〉、2000年。
- 沼津市史編さん委員会『沼津市史 通史編 原始・古代・中世』2005年。
- 堤邦彦『江戸の高僧伝説』三弥井書店〈三弥井民俗選書〉、2008年。
- 岳南地域流域治水協議会・静岡県・富士市『和田川・小潤井川・伝法沢川水災害対策プラン』(レポート)2023年3月 。