和田秀来
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和田 秀来(わだ ひでき、1877年(明治10年)10月11日 - 1974年(昭和49年)3月27日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴・人物
[編集]福岡県出身[2]。1898年(明治31年)福岡県立尋常中学修猷館[3]を経て、1900年(明治33年)11月陸軍士官学校第12期卒業[2]。
1924年(大正13年)2月大阪砲兵工廠小倉兵器製造所長、同年12月大佐に累進し、1927年(昭和2年)7月野砲兵第10連隊長[2]。
1930年(昭和5年)8月少将に進み、津軽要塞司令官。1931年(昭和6年)8月待命、予備役[2]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]。
栄典
[編集]- 勲章
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[5]