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咥内停留場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
咥内停留場
土讃線の列車より咥内停留場を望む
こうない
Konai
宮の奥 (0.5 km)
(0.9 km) 宇治団地前
地図
所在地 高知県高知市朝倉
北緯33度33分8.4秒 東経133度28分13.76秒 / 北緯33.552333度 東経133.4704889度 / 33.552333; 133.4704889座標: 北緯33度33分8.4秒 東経133度28分13.76秒 / 北緯33.552333度 東経133.4704889度 / 33.552333; 133.4704889
所属事業者 とさでん交通
所属路線 伊野線
キロ程 7.3 km(はりまや橋起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面1線
開業年月日 1907年明治40年)9月16日
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咥内停留場(こうないていりゅうじょう)は、高知県高知市朝倉にあるとさでん交通伊野線路面電車停留場

高知市といの町の境界をなす咥内坂にあり、隣の宇治団地前停留場との間で坂を越える。両停留場間の距離はとさでん交通で最長の892メートル。

歴史

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伊野線はとさでん交通の前身土佐電気鉄道によって1904年明治37年)に堀詰 - 乗出間が開業し、順次路線を延伸してきた[1]。咥内まで路線が達したのは1907年(明治40年)のことで、このときの延伸は当停留場まで[1][2]。咥内より先、伊野方面については咥内坂を越える必要があったため、ひとまず坂を越えた先の枝川から伊野までの区間を先に開通させ、咥内 - 枝川間は翌1908年(明治41年)に開通した[3]。これにより伊野線は全通を達成している[1]

当時、伊野線の軌道は坂越えにあたって急勾配を避けるため、咥内停留場を出て土讃線のガード下をくぐった後カーブして、並走する道路の下をトンネルにて抜けていた[4]。しかしトンネルが狭くカーブしていたためボギー車が通行できず、坂越えの区間は線内のボトルネックとなっていた[4]。このトンネルが撤去されたのは1960年(昭和35年)[1]。あわせて坂の前後3キロメートルの区間で道路と軌道の改良工事を行い、軌道は新線に移設され道路の北を並走するようになった[4]

年表

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停留場構造

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ホームは2面あり、東西方向に伸びる単線の軌道を挟み込むように向かい合って配される(相対式[6]。軌道の北側にあるのがはりまや橋方面行きのホーム、南にあるのが伊野方面行きのホーム。安全地帯ははりまや橋方面の方が広く、待合室もある[3]

新線に移設される前は、列車交換のための設備を備えていた[4]

停留場周辺

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停留場西側で土讃線が交差し、その先で高知自動車道がまたぐ[3][6]。そのあたりが咥内坂の頂点で、そこから宇治団地前にかけて勾配29パーミルの下り坂に転じ、並走する県道とともに掘割の中を進む[3]

隣の停留場

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とさでん交通
伊野線
宮の奥停留場 - 咥内停留場 - 宇治団地前停留場

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『土佐電鉄が走る街 今昔』99・156-158頁
  2. ^ a b c 今尾恵介(監修)日本鉄道旅行地図帳』 11 中国四国、新潮社、2009年、60頁。ISBN 978-4-10-790029-6 
  3. ^ a b c d 川島令三全国鉄道事情大研究』 四国篇、草思社、2007年、280-289頁。ISBN 978-4-7942-1615-1 
  4. ^ a b c d 『土佐電鉄が走る街 今昔』44-45頁
  5. ^ 上野宏人 (2014年10月2日). “とさでん交通:「再出発」 「便利な市民の足に」高知で設立式 新デザインの車両披露”. 毎日新聞 (毎日新聞社) 
  6. ^ a b 川島令三『四国・九州ライン 全線・全駅・全配線』 第2巻 四国西部エリア、講談社〈【図説】 日本の鉄道〉、2013年、43,94頁。ISBN 978-4-06-295161-6 

参考文献

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関連項目

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