咸平新徳古墳群
咸平新徳古墳群 (文化財指定名称:咸平禮德里新德古墳群) | |
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各種表記 | |
ハングル: | 함평예덕리신덕고분군 |
漢字: | 咸平禮德里新德古墳群 |
発音: | ハムピョンネドンニシンドッコブングン |
ローマ字: | Hampyeong Yedeok-ri Sindeok Gobungun |
咸平新徳古墳群(ハムピョン しんとくこふんぐん/シンドッコブングン)は、大韓民国(韓国)全羅南道咸平郡月也面礼徳里にある古墳群。全羅南道記念物第143号に指定されている(指定名称は「함평예덕리신덕고분군(咸平禮德里新德古墳群)」)[1]。
長鼓墳(前方後円形墳)1基と円墳1基の2基で構成される。朝鮮半島南部には長鼓墳10数基が分布し、日本に多く存在する前方後円墳との関連が指摘されるが、本古墳群の長鼓墳はそのうちの1つになる。
概要
[編集]朝鮮半島南部、咸平郡北東縁の平野部において北に円墳、南に前方後円形墳の2基が隣接して築かれている[2]。これまで1991年に盗掘跡発見に伴う緊急調査が、1992年に国立光州博物館による第1次発掘調査がなされている[2]。前方後円形墳(長鼓墳)のうちでは初めて石室構造が明らかになっている[3]。
周辺では3世紀頃から4世紀頃築造の万家村古墳群や、百済系横穴式石室を有する月渓里石渓古墳などが知られる[2][4]。しかしその後の古墳系譜はないと見られるため、新徳古墳群はこの地域で突如出現した古墳になる[4]。
2基の古墳域は、1992年3月9日に全羅南道記念物第143号に指定されている[1]。
一覧
[編集]1号墳
[編集]咸平新徳1号墳 | |
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墳丘全景(左に後円部、右に前方部) | |
別名 | 咸平礼徳里新徳1号墳 |
所属 | 新徳古墳群 |
所在地 |
韓国 全羅南道咸平郡月也面礼徳里山176番地 (전라남도 함평군 월야면 예덕리 산176번지) |
位置 | 北緯35度13分15.23秒 東経126度36分24.83秒 / 北緯35.2208972度 東経126.6068972度 |
形状 | 長鼓墳(前方後円形墳) |
規模 |
墳丘長51m 高さ5m |
埋葬施設 |
両袖式横穴式石室 (内部に百済系装飾木棺か) |
出土品 | 銀装三角穂式鉄鉾・捩り環頭大刀(倭系文物)、飾履など装身具(百済系文物)、鉄製武具・鉄製農耕具・鉄製馬具 |
築造時期 | 5世紀末頃 |
史跡 | 全羅南道記念物第143号「함평예덕리신덕고분군(咸平禮德里新德古墳群)」に包含 |
概要
[編集]新徳1号墳は、2号墳の南17メートルに位置する古墳[2]。1号墳と2号墳の間、ならびに1号墳の東西外側は平坦面に整地されている[2]。墳丘は丘陵上で盛り土したもので、南北線から西に15度傾く方向を主軸として前方後円形をなし、前方部を北北西に向ける[2][5]。外部施設のうち造出は認められていないが[2]、段築(2段築成)・葺石が見られる[6]。墳丘周囲には周濠があり、陸橋部8ヶ所が確認されている[7]。
埋葬施設は両袖式横穴式石室で、地表面より高所に形成されている[2]。墳丘主軸と直交する東西方向に長方形の石室を設け、これに短い羨道を西南西方向に付す[2]。玄室規模は、長さ約2.9メートル、幅約2.3メートル、高さ約2.4メートル[2]。奥が広く手前が狭い羽子板状で[2]、その内壁は赤く塗られ、床面には割石が敷かれている[7]。壁面最下段の板石(腰石)を置くなどの構造は、北部九州や有明海沿岸地域と直接的に系譜関係を持つと見られている[8]。玄室内には2.47×0.90×0.30メートルの棺台の上に木棺が設置された[7]。石室は盗掘に遭っているが、頭部を銀装した釘などが見つかったことから百済系装飾木棺を使用したと推測される[8]。また玄室内からは、鏃・刀・矛・挂甲・鉄鎌・鉄刀子・轡・雲珠・鐙といった鉄製武具・鉄製農耕具・鉄製馬具のほか、金銅冠・飾履・金製耳環・飾り玉・漆器片・長頸壺が出土した[2]。一方、羨道からは多量の土器が見つかっている[2]。これらのうち、銀装三角穂式鉄鉾・捩り環頭大刀は倭(日本)系の副葬品、飾履などの装身具は百済系の副葬品になる[9]。
墳丘
[編集]1号墳の規模は次の通り[2]。
- 墳丘長:51メートル
- 後円部
- 直径:30メートル
- 高さ:5メートル
- くびれ部
- 幅:19メートル
- 高さ:3.25メートル
- 前方部
- 幅:25メートル
- 高さ:4メートル
墳丘の外形に関しては、荒神森古墳(福岡県北九州市)との類似が指摘される[5]。
2号墳
[編集]咸平新徳2号墳 | |
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墳丘 | |
別名 | 咸平礼徳里新徳2号墳 |
所属 | 新徳古墳群 |
所在地 |
韓国 全羅南道咸平郡月也面礼徳里山176番地 (전라남도 함평군 월야면 예덕리 산176번지) |
位置 | 北緯35度13分16.70秒 東経126度36分24.04秒 / 北緯35.2213056度 東経126.6066778度 |
形状 | 円墳 |
規模 |
直径15m 高さ1.5m |
埋葬施設 | 横穴式石室 |
築造時期 | 7世紀 |
史跡 | 全羅南道記念物第143号「함평예덕리신덕고분군(咸平禮德里新德古墳群)」に包含 |
概要
[編集]新徳2号墳は、1号墳の北17メートルに位置する古墳[2]。直径15メートルを測る円墳であるが、北側の裾部は後世の水路建設に伴い削られている[2]。埋葬施設は横穴式石室[2]。その構造は百済の陵山里古墳群に見られる形式とされる[5]。
この2号墳は1号墳に遅れる7世紀の典型的な百済後期古墳とされ、1号墳とは時期・系譜的に無関係と見られている[10]。
墳丘
[編集]2号墳の規模は次の通り[2]。
- 直径:15メートル
- 高さ:1.5メートル
文化財
[編集]全羅南道記念物
[編集]現地情報
[編集]所在地
交通アクセス
- バス:光州広域市の光州総合バスターミナル(Uスクエア)から、バスで「신덕마을(新徳村)」バス停下車 (乗車時間約100分、下車後西方へ徒歩すぐ)
脚注
[編集]- ^ a b c 함평예덕리신덕고분군(咸平禮德里新德古墳群)(大韓民国文化財庁) 。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 早稲田大 & 1996年, pp. 42–44.
- ^ 함평 예덕리 신덕고분군(韓国観光公社) 。
- ^ a b 朴天秀 & 2007年, p. 92.
- ^ a b c 早稲田大 & 1996年, pp. 68–69.
- ^ 朴天秀 & 2007年, p. 97.
- ^ a b c 新徳1号墳(東アジア) & 2007年.
- ^ a b 高田貫太 & 2012年, p. 89.
- ^ 高田貫太 & 2012年, p. 91.
- ^ a b 함평예덕리신덕고분군(咸平禮德里新德古墳群)(韓国学中央研究院「韓国民族文化大百科事典」) 。
参考文献
[編集]- 事典類
- 大竹弘之「新徳1号墳」『東アジア考古学辞典』東京堂出版、2007年。ISBN 978-4490107128。
- その他文献
- 岡内三真編 編『韓国の前方後円形墳 -早稲田大学韓国考古学学術調査研修報告-』雄山閣出版、1996年。ISBN 4639013671。
- 朴天秀『加耶と倭 -韓半島と日本列島の考古学-』講談社、2007年。ISBN 978-4062583985。
- 高田貫太「栄山江流域における前方後円墳築造の歴史的背景」『古墳時代の考古学 7 内外の交流と時代の潮流』同成社、2012年。ISBN 978-4886216120。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 함평예덕리신덕고분군(咸平禮德里新德古墳群) - 大韓民国文化財庁
- 함평예덕리신덕고분군(咸平禮德里新德古墳群) - 韓国学中央研究院「韓国民族文化大百科事典」