咸規
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咸規 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 함규 |
漢字: | 咸規 |
発音: | ハム・ギュ |
咸 規(ハム・ギュ、朝鮮語: 함규、生年不明 - 945年)は、高麗初期の文臣。本貫は楊根咸氏。王規(ワンギュ)とも。
人物
[編集]京畿道広州の大豪族出身で、太祖王建による建国を助けた。937年に後晋の高祖の祝賀のために派遣され、帰国後の943年には宰臣に上った。2人の娘を太祖に嫁がせ、外戚として王姓(開城王氏)を下賜され、恵宗を補佐する遺命を受けた。
しかし、『高麗史』の「反逆伝」によれば、恵宗と異母弟の定宗、光宗を離間させ、外孫の広州院君を王位に擁立する目的で、恵宗の暗殺を謀ったという。恵宗が危篤となると、945年、定宗は西京の王式廉の軍隊を動員し、咸規(王規)を江華島甲串に配流し殺害したとされる。
子孫は咸氏に復姓しており、咸淳らがいる。
参考文献
[編集]- 「アジア人物史 3」 集英社 2023年