商琦
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商 琦(しょう き、生没年不詳)は、モンゴル帝国(大元ウルス)に仕えた漢人官僚の一人。字は徳符。クビライに仕え京兆地方の経営に尽力した商挺の息子の一人。
概要
[編集]大徳8年(1304年)、オルジェイトゥ・カアン(成宗テムル)のケシクテイ(宿衛)に選ばれ、後に皇太子アユルバルワダの計らいにより集賢直学士の地位を授けられた。アユルバルワダが仁宗ブヤント・カアンとして即位すると、皇慶元年(1312年)に集賢侍講学士とされ、延祐4年(1317年)には侍読官・通奉大夫に昇格となった。泰定元年(1324年)、秘書卿の地位に移ったが、病により帰郷し間もなく亡くなった。商琦は山水画を得意としていたと伝えられており、また四川に赴任した時は法をよく守り私的な判断をすることはなかったという[1]。
脚注
[編集]- ^ 『元史』巻159列伝第46商琦伝,「琦字徳符。大徳八年、成宗召備宿衛。仁宗在東宮、奏授集賢直学士。調大名路治中、不赴。皇慶元年、授集賢侍講学士。延祐四年、陞侍読官・通奉大夫、賜鈔二万五千貫。泰定元年、遷秘書卿、病帰、卒。琦善画山水。嘗使蜀、持平守法、秋毫無私」