喜多武一

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喜多 武一(きた ぶいち、生没年不詳)は江戸時代南画家

来歴[編集]

喜多武清の子。喜多氏。名も字も武一で、俗称は武一郎。武一、伴蜨(ばんしょう)と号す。江戸に生まれており、父とともに八丁堀竹島町に住んでいた。父の武清に絵を学び、文政から弘化年間に作画をしている。侠気の人で酒をたしなみ、特に奇雅のある酔墨をもって知られていた。なお、嘉永2年(1849年)に刊行された『江戸文人寿命付』2編の「喜多武一」の項に「兄の跡をつぎたるめでたさや これぞ二代の画師のまれもの」と記されており、弟が兄である武一の跡をついで2代目武一を襲名したことを告げている。これによって、初代の武一は嘉永2年以前に没したものとみられる。享年も不明であるが、『大日本書画名家大鑑』には「50余」とある。

作品[編集]

参考文献[編集]