喜屋武村
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喜屋武村 | |
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廃止日 | 1946年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 喜屋武村・真壁村・摩文仁村→三和村 |
現在の自治体 | 糸満市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 沖縄県 |
郡 | 島尻郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 | 真壁村、摩文仁村 |
喜屋武村役場 | |
所在地 | 沖縄県島尻郡喜屋武村字喜屋武 |
座標 | 北緯26度05分26秒 東経127度40分57秒 / 北緯26.09069度 東経127.68247度座標: 北緯26度05分26秒 東経127度40分57秒 / 北緯26.09069度 東経127.68247度 |
特記事項 | 廃止当時はアメリカ軍施政権下 |
ウィキプロジェクト |
喜屋武村(きゃんそん)は、かつて沖縄県島尻郡にあった村で、沖縄本島最南端の自治体だった。現在の糸満市南西部にあたる。
1908年の島嶼町村制で喜屋武村となる。1946年に真壁村・摩文仁村と合併し三和村となり消滅。村役場は喜屋武に置かれた。
沿革
[編集]もともと喜屋武間切で、古くは「きやめ」と呼ばれていた。1896年の郡区制で島尻郡に編入した後、1908年4月1日に島嶼町村制で摩文仁村となった。主な産業は農業。
沖縄戦では摩文仁が最後の激戦地となり、村民だけでも犠牲者数は約1200人近くと村人口の約半数にもなった。このため人口は半減し、このまま村独自では復興が難しいことから、1946年4月1日に隣接する真壁村と摩文仁村と合併、三和村となり喜屋武村は消滅した。村役場は三和村喜屋武支所となった。
その後三和村は1961年10月1日に(旧)糸満町(現在の糸満市字糸満)・高嶺村・兼城村と合併し(新)糸満町となり僅か15年で消滅。さらに1971年12月1日に市制施行し、糸満市となった。
地域
[編集]- 喜屋武(きゃん)
- 束辺名(つかへな) 現在は束里(つかざと)となった
- 上里(うえざと) 現在は束里となった
- 福地(ふくぢ)
- 山城(やまぐすく)
隣接していた自治体
[編集]- 真壁村(現在の糸満市)
- 摩文仁村(現在の糸満市)
現在の糸満市喜屋武地域
[編集]交通
[編集]道路
- 国道331号
- 沖縄県道77号糸満与那原線(主要地方道、平和の道線・予定)
- 沖縄県道3号線
- 沖縄県道223号魂魄之塔線
いずれも琉球バス交通による運行
- 82番・玉泉洞糸満線
- 107番&108号・南部循環線
学校
[編集]- 中学校は真壁の三和中学校に通学する。