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喜連川氏連

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
喜連川氏連
時代 江戸時代中期
生誕 元文4年(1739年
死没 宝暦11年12月17日1762年1月11日
改名 戌王丸(幼名)、氏連
戒名 仁裕院殿哲山舜公大居士
墓所 栃木県さくら市龍光寺
官位 右兵衛頭
幕府 江戸幕府
主君 徳川家重家宣
下野喜連川藩
氏族 喜連川家
父母 父:喜連川茂氏、母:側室・某氏
兄弟 梅千代、氏連
養子:恵氏
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喜連川 氏連(きつれがわ うじつら)は、江戸時代中期の大名下野喜連川藩の第6代藩主。

生涯

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元文4年(1739年)(もしくは寛保元年(1741年)6月23日)、第5代藩主・茂氏の次男として生まれる。宝暦5年(1755年)11月1日に徳川家重御目見し、宝暦7年(1757年)12月25日に父と隠居にともない跡を継ぐ。しかし宝暦11年(1762年)12月17日に早世した。茂氏の継室の実家である伊予大洲藩加藤家から恵氏加藤泰衑の長男)が入り養嗣子として跡を継いだ。

系譜

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父母

養子