喜頭兵一
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喜頭 兵一(きとう へいいち、1884年(明治17年)5月[1] - 1955年(昭和30年)7月24日[要出典])は、日本の裁判官。
経歴
[編集]兵庫県出身[1]。岩本モトの子として生まれ、喜頭時定の養子となった[1]。1909年(明治42年)、東京帝国大学法科大学を卒業[1]。統監府判事を経て、朝鮮総督府判事となった[1]。京城地方法院判事、釜山地方法院判事、京城地方法院部長、大邱地方法院部長、京城覆審法院部長、大邱覆審法院部長、高等法院判事を歴任した[1]。1927年(昭和2年)、欧米諸国に留学し、帰国後に京城帝国大学法文学部講師を兼ねた[1]。その後、高等法院部長、京城覆審法院長を経て、1943年(昭和18年)に高等法院長に就任した[2]。墓所は多磨霊園。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g 人事興信録 1939, p. キ52.
- ^ 大衆人事録 1943, p. 朝鮮35.
参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 外地・満支・海外篇』帝国秘密探偵社、1943年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版(上)』人事興信所、1939年。