四辻継子
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四辻 継子(よつつじ つぐこ、? - 1657年8月13日(明暦3年7月4日))は、後水尾天皇の典侍。父は権大納言の四辻季継[1]。権中納言局と称した。藤原継子とも呼ばれる。法号は龍宝院。
生涯
[編集]権大納言の四辻季継の娘として生まれる。1645年11月17日(正保2年9月29日)より後水尾天皇に仕え、2皇子(尊光法親王・盛胤法親王)と1皇女(文察女王)を儲ける。権中納言局と称した[2]。
1657年8月13日(明暦3年7月4日)、死去。法号は龍宝院。墓所は奈良県奈良市の圓照寺。
脚注
[編集]- ^ “室町/四辻家(羽林家)”. Reichsarchiv ~世界帝王事典~. 2021年1月16日閲覧。
- ^ 「日本女性人名辞典」(日本図書センター、1993年)