国際空港電鉄
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国際空港電鉄(こくさいくうこうでんてつ)は、かつて新東京国際空港(現成田国際空港)への空港連絡鉄道をモノレール規格で建設することを計画した日本の企業である。
概要
[編集]1970年2月14日に、西船橋駅 - 新東京国際空港間の敷設免許申請を、地方鉄道法に基づき東京陸運局に提出している[1][2]。 当初は1973年4月の開通を目標とし[3]、千葉県知事(友納武人)に協力を求めていた[3][4]が、免許を得ることはできなかった。
申請路線データ
[編集]- 起点:西船橋駅[2][4]
- 終点:新東京国際空港[1][2][4]
- 路線距離:50.8km[5]
- 駅数:13駅[5]
- 複線区間:全線[5]
- 表定速度:122km/h(最短所要時間25分[4])
- その他:車両は270人乗り6両編成[5]
企業データ
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 「二月の十四日でございますが、新空港まで参りますモノレールの申請が東京陸運局に出てまいりました。したがいまして、それにつきましての陸運局の検討結果を待ちまして、運輸省といたしましても慎重に検討いたしたいと考えております。」運輸省鉄道監督局長 町田直の発言、第63回国会 衆議院運輸委員会第4号、1970年2月25日
- ^ a b c 「モノレールでございますが、これは西船橋から空港を結ぶ五十キロばかりの線でございますが、現在申請がございまして、そしてこれは東京陸運局においていま調査中でございます。」運輸政務次官 山村新治郎 (11代目)の発言、第63回国会 衆議院地方行政委員会第8号、1970年3月19日
- ^ a b 「モノレールの建設申請 西船橋 - 空港結ぶ 48年4月に開通 空港電鉄 知事に協力求める」サンケイ新聞、1970年2月26日朝刊千葉版
- ^ a b c d e f 「モノレール申請」読売新聞、1970年2月26日朝刊、15頁
- ^ a b c d 「運輸と経済」1970年7月号、交通経済研究所、90頁