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国領吉次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
国領吉次
時代 江戸時代前期
生誕 慶長15年(1610年
死没 寛文7年9月17日1677年11月3日
別名 七郎右衛門[1]
戒名 常清[1]
主君 徳川家康秀忠家光家綱
氏族 国領氏
父母 国領一吉[1]
島崎忠祐[1]
重次次光次長[1]
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国領 吉次(こくりょう よしつぐ)は、江戸時代前期の武士江戸幕府旗本

経歴・人物

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国領氏は近江国の出身の氏族[2]

元和6年(1620年)大番に列し、寛永9年(1632年)家督を継ぐ[1]。翌年の寛永10年(1633年武蔵国橘樹郡内にて250石を賜い、知行高580石となる[1]。のち小普請となる[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 寛政重修諸家譜』巻第九百三十六
  2. ^ 下山治久『記録御用所本古文書: 近世旗本家伝文書集』東京堂出版、p.49(2001)