国領吉次
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長15年(1610年) |
死没 | 寛文7年9月17日(1677年11月3日) |
別名 | 七郎右衛門[1] |
戒名 | 常清[1] |
主君 | 徳川家康→秀忠→家光→家綱 |
氏族 | 国領氏 |
父母 | 国領一吉[1] |
妻 | 島崎忠祐娘[1] |
子 | 重次、次光、次長[1] |
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国領 吉次(こくりょう よしつぐ)は、江戸時代前期の武士。江戸幕府旗本。
元和6年(1620年)大番に列し、寛永9年(1632年)家督を継ぐ[1]。翌年の寛永10年(1633年)武蔵国橘樹郡内にて250石を賜い、知行高580石となる[1]。のち小普請となる[1]。
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