圓徳寺 (大阪市生野区)
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所在地 | 大阪府大阪市生野区巽中4-8-26 |
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位置 | 北緯34度38分39.7秒 東経135度33分2.7秒 / 北緯34.644361度 東経135.550750度座標: 北緯34度38分39.7秒 東経135度33分2.7秒 / 北緯34.644361度 東経135.550750度 |
山号 | 樹法山 |
宗旨 | 浄土真宗 |
宗派 | 真宗大谷派 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 長享2年(1488年) |
開基 | 蓮如 |
法人番号 | 5120005000714 |
圓徳寺(えんとくじ)は、大阪府大阪市生野区にある真宗大谷派の寺院。
歴史
[編集]長享2年(1488年)、郷士・上場(うえば)又三郎正欽(またさぶろうまさのり)が、蓮如を招き、自邸を寺に改めて創建された。
正欽は当時、大地村(現在の大阪市生野区巽中3丁目、4丁目付近)に居住していた地侍で、室町幕府第9代将軍=足利義尚の配下に属し、江州の坂本に於いて佐々木高頼と戦い、その後、世の中の無常を感じ、本願寺第8世の蓮如上人に帰依して僧侶となり、名を法欽と給わった。そして、自宅を寺としたのが始まりである。
元亀元年(1570年)、本願寺十一世・顕如上人の時に、石山合戦が勃発し、当時の圓徳寺第4代目住職・了法が門徒を引き連れ加勢した。
この時、了法の忠勤が抜群だった為、顕如上人より『顕』の一字を給わり、了法を顕了と改めた。
以後、圓徳寺は代々の住職が『顕』の字を名前に用いる事が許された。
昭和63年(1988年)に圓徳寺開創500年を迎えたため、前年より本堂の大改修が行われた。
また、平成10年(1998年)には、山門(大門)や釣鐘堂の大改修が行われた。
令和元年(2019年)10月20日、第19代目に住職が継職された。
第18代目の住職は、文学博士の上場顕雄(うえば あきお / けんゆう)氏。
伽藍
[編集]太鼓堂、釣鐘堂、本堂など。
文化財
[編集]◯井原西鶴が著した「椀久一世の物語」に圓徳寺が登場する。
今も圓徳寺には、椀屋久右衛門寄進の朱塗りの椀家具セット・十人前が多くの寺宝とともに所蔵されている。
◯六字名号(南無阿弥陀仏)
◯親鸞聖人絵像
◯聖徳太子絵像
以下、省略。
◯圓徳寺の銀杏の木・楠の木は、大阪市の保存樹に指定されている。